天を突く尖峰・マチァプチャレ

 

マチァプチャレ ベースキャンプから仰ぐマチャプチャレ

 

 ポカラのホテル屋上から夕陽に輝くアンナプルナ、マチァプチャレ、ダウラギリがパノラマとなって見える。白銀に覆われ黄金色に輝く峰々は実に美しいと思う。ネパールは乾季に入り連日晴れが続いているという。ホテルで出会ったアンナプルナ・サンクチュアリ・トレッキングから戻り、日本に帰国するというトレッカーから素晴らしい日々だったと感嘆の声を聞くと、今は遥かに遠く聳えている峰々が1週間後は尖塔を天に突きあげるマチァプチャレのベースキャンプまで到着し、指呼の間で見上げることが実感として胸に迫ってくるのだった。

 

 ネパールと聞くと世界の尾根と言われるヒマラヤの峰々を仰ぐ寒い山岳国というイメージが浮かぶが、緯度は日本の奄美大島〜沖縄あたりとなり熱帯地域なのである。しかし、3分の2が山岳地となるため標高が首都カトマンズの1350mから8848mのサルガマータ(チベット名でチョモランマ、英名でエベレスト)となるため、熱帯、亜熱帯、温帯、亜寒帯、寒帯とさまざまな気候帯が存在するのである。

 

 私たち日本からの「なんちゃって登山隊」12名はポカラからトレッキングのスタート地であるナヤプール(標高1025m)までバスで移動し、ポーター11名とともに往復11日間の「アンナプルナ・サンクチュアリ・トレッキング」に出発したのであった。目的地はアンナプルナ・ベースキャンプで標高は4130mであるから標高差3100mを登っていく行程であった。トレッキング開始後の4日目のデウラリ(3200m)までは、地元住民が生活している村々を通過するために石畳階段の登り降りの連続で嫌になってしまうコースであったが、目的地の素晴らしい景色を想像しながら一歩ずつ歩を進めていったのである。

 

 デウラリのシャングリラ・ホテルに到着したとき、予約はしてあったものの先に到着したグループに部屋を取られてしまい私たち4人は偶然にも石壁の部屋に泊まることができたが、残りの人たちはベニヤ板で仕切られた部屋で隙間が多く外温と同じ気温のもとで宿泊という悪条件であった。3年前にタンザニアのキリマンジャロ登山時に宿泊したロッジでも宿泊予約のダブルブッキングによって宿泊場所が無いという事態に陥ったことがあったことを思い出したのであった。これも山旅ならではの体験である。翌日の起床時はー5℃という気温であったのでベニヤ板囲いの部屋に寝た人たちは随分寒かったであろうと同情したのであった。

 

アンナプルナ・ベースキャンプから夕陽に輝くマチャプチャレ

 

 デウラリからマチァプチャレ・ベースキャンプを経てアンナプルナ・ベースキャンプに到着したのはナヤプルから歩き出してから6日目であった。ポカラのホテルから遠く望んだ山の下までやってきたのである。ベースキャンプの周りは全て7000m8000mの峰々に取り囲まれていた。その中で垂直の岩壁が故に雪が着くことができないマチァプチャレの姿は圧倒的存在感として聳え立っていた。ピラミダルな山頂部は実に美しく屹立し、厳しく聳え立つ孤高の山だと思った。私が今回のトレッキングで一番見たいと思っていた山は、ヒュウンチュリでも、アンナプルナ・サウスでも、ヴァラハシカールでも、アンナプルナでもなく、それはマチァプチャレ(6993m)であった。過去、1度だけイギリス登山隊によって頂上直下50mまで登られた山は、その後地元民から聖なる山として崇められているため登山禁止となり、今後とも登られることはないといわれている。ベースキャンプからは尖っている山は他にも確認することはできるのだがマチュピチャレは別格である。

 

 マチァプチャレ・ベースキャンプあるいはアンナプルナ・ベースキャンプに滞在した3日間は快晴続きで、朝に昼に夕に時間があると私は飽きることなくマチァプチャレを見ていた。

 

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