高校卒業50周年クラス会に出席して
高崎工業高校卒業50周年クラス会
私が群馬県立高崎工業高校機械科を卒業したのは1967年(昭和42年)3月だった。今年は2017年である。卒業から50年、卒業時18歳であった年齢も68歳になった。卒業から半世紀の時間が流れ、同級生の大半は現役をリタイアする年代となっている。私たちの機械科1組の同級生は51名だった。この時期にクラス会を開かなければ今後開かれることはないだろう、ということで、高崎近辺に住んでいる同級生の数人が幹事となり卒業50周年のクラス会開催に向けて準備を始めた。
前回、伊香保温泉でクラス会を開催した時にも私は出席したが、すでに25年前だという。数回開かれた事前準備会の一つとして昨年(2016年)9月17日に高崎駅近くのヤマダ電機ビル内のレストラン『百味物語』での準備打合会案内が届いたので出席した。その準備会には18人の同級生が集まった。私にとって出会った同級生の多くは25年ぶりの顔だった。すぐに分かる友もいたが、当然ながら全く分からない友もいた。50年という年月は過ぎてしまえば短いようだが結構長い年月ともいえる。
昨年9月の段階で物故者は4名、住所不明者は12名いた。今回の『50周年記念クラス会』への参加者は22名だったが、9月の準備打合会に出席した人の大多数が今回のクラス会にも出席したが、都合がつかなく今回は欠席した人が3人いたので、私にとって51人の同級生のうち9月と今回を合わせて半数の25名と出会ったことになる。
話をしていると50年前の懐かしくも楽しい10代後半の日々が次々に思い出された。特にクラス51人中にラグビー部に7人が在籍しており、私もその中の一人であり、背番号「8」のジャージーを着てフィールド狭しと走り回っていたのだった。群馬県大会で優勝し、埼玉県代表との北関東大会の戦いは1点差の逆転優勝で全国大会の花園ラグビー場に出場したことなども話題となり、熊谷で開かれた北関東大会に応援観戦に行ったという友も当時の状況を熱く語っていた。愉しいひと時だった。千葉に住んでいる私にとって地元に住んでいる幹事に任せるので、次回のクラス会がいつになるかわからないが、クラス会案内が届いたら出席しようと思っている。