クマゲラを探して旧登山道からポン山へ
オジロワシが雄大に舞っていた
5月26日(4日目) 日曜日 晴れ
今日は6時に宿を出発し、自転車専用道路を歩いて歴史の森に行き、森のなかでクマゲラを探索し、その後、旧登山道を登って甘露泉水まで行き、甘露泉水からさらに大ポン山と小ポン山あたりを探索し、帰りは利尻富士温泉に入ってから宿に帰ってくることにした。宿の食堂から見える利尻富士の山頂部は雲のなかである。大ポン山と小ポン山は姿を見せている。天気予報では10時頃から晴れと出ていた。
利尻山山頂は強風が吹いていた
朝の食堂で昨日セバスチャンと一緒に登山をしたという若い男性がいたので話を聞いてみると、9合目から上は雪が出てきて、雪はバリバリに凍っている状態だった。風も強くて雪が降っていて、アイゼンもピツケルも持っていないし、スリップしたら下まで止まらないことがはっきりしていたので、そこで3人で相談して登頂を諦めて帰ってきたとのことだ。私が登ったのは9月だったことを伝えると、じゃあ9月頃に来ようかなということだ。命あってのものだねである。若者は英語が堪能でフランスに留学していたとのことだ。若者の話を聞いた後でセバスチャンの携帯とカメラの映像を見せてもらったが、9合目まで登ったことは確認できたが、その先は雪がクラスト状態となっていた。
芽吹き始めた枝にノビタキのメスがいた
自転車専用道路を歩いて歴史の森に近づくと、森のなかからドラミングの音が聞こえてきた。確かに森のなかにクマゲラはいるのだ。森のなかに入っていと、コマドリの美しい鳴き声が絶え間なく耳に届くが、ドラミングの音はやんでしまった。森のなかを1時間ほど探索するが、結局クマゲラには会うことができなかった。
原生林のなかの今は使われていないクマゲラの巣穴
旧登山道入り口にやってきた。風が全く止まっているので、林のなかで何か少しでも動くものがあればと、目を凝らして見回しているのだが、動くものに出会わない。ツツドリの声が遠くから聞こえていた。NHK―BSの『にっぽん百名山』シリーズでも、旧登山道を歩いている山岳ガイドがクマゲラを見つけ、映像が流れたことがあった。登山道から5mも離れていないところにクマゲラの巣の跡があった。多分これはもう使われていないと思われるが、上下に2つの穴が開いていた。下の穴の方が大きかった。こんなにも登山道の近くに巣は作られたのだ。木は6mぐらいの高さで折れており、ツタウルシが巻かれていたので木は枯れているのだろう。キョキョキョという鳴き声も聞こえてきている。
巣穴をリフォーム中のゴジュウカラ
国立北麓野営場のトイレを借りて出てきたところで、神奈川からクマゲラを撮りに来て10日目だという男性に出会った。「これまでに4〜5回クマゲラが翔んでいるのを見たが、写真は撮れていない。今日は朝5時半から狙っているけれども、全く出会わなかった。枯れ株のところでアリを食べているクマゲラを狙っている」とその人は言った。クマゲラの話がきれたところで「ゴジュウカラの営巣中があるので見ますか?」と案内されると、高さ10mほどの枯れ木だった。幹にはアカゲラが作った2つの大きな穴があり、その下側の穴をゴジュウカラ自身の体の大きさに合わせて、穴を小さくリフォーム中だった。ゴジュウカラは幹に掴まりながら上から下に移動することができる唯一の鳥である。ゴジュウカラ自身は幹に穴を掘れないので、アカゲラの巣穴の再利用とは頭のいい方法である。巣が出来上がるとやがて卵を産むのだろう。
ミソサザイが美しく鳴いた
野営場事務所の女性が歩いていたので話しかけてみると、「クマゲラは朝5時頃によく翔んでいるよ。旧道の下の方が多いみたいだね」とのことだった。甘露泉水までやってくると、美しいミソサザイの鳴き声がした。どこにいるのだろうと姿を探していると、私の目の前の枯れ木に止まって尾を上げながらチリチリチリ
チリチリという美しい声で鳴き出した。逆光だったがシャッターチャンスだった。
アカゲラが姿を現した
宿に常駐しているガイドの村岡さんによると、「ポン山登山道から10mの近さにクマゲラの巣を見たことがあり、普通のデジカメで写真が撮れました」とのことだ。クマゲラは登山者が多くない時期に子育てをするので、巣が登山道に近いか遠いかというのはあまり関係がないようだ。そのポン山にこれから登るのだ。大ポン山と小ポン山の分岐まで登ってきた。分岐点は2つの山をつなぐ稜線上ある。分岐を左に折れて大ポン山に向かった。直径20cmほどのあまり大きくないトドマツのなかの暗い道を頂上まで登っていった。
大ポン山の山頂に着いた
大ポン山444mの頂上まで登ってきた。頂上にはハイマツがたくさん生えていた。よく晴れているので礼文島が眼下に細長く横たわっているのが見えた。利尻富士も山頂までしっかり見えた。山頂は強風が吹いているようで、雲がかかっては消え、消えてはかかる状態だった。すると突然2羽のオジロワシが現れ、風を受けて大きく舞っているではないか。オジロワシは冬の道東で観たことがあるが、実に雄大に翔んでいた。
大ポン山の山頂から眼下に礼文島が見えた
遠くからドラミングの音が聞こえてきていた。昨日、利尻富士温泉まで車で送っていただいたさいに、プレゼントされた缶入り茶を飲んで休憩していると、「ワォッ」などと感動の声を発して3人の外国人が登ってきた。その3人と入れ替えに私は小ポン山に向かうことにした。
エゾエンゴサクがひっそりと咲いていた
分岐点まで戻り小ポン山に向かうと、大ポン山の薄暗さと違い、ダケカンバを主体とした落葉広葉樹の林なので林床が明るく、ツバメオモトの群落やエゾエンゴサクの薄紫の花もたくさん見られるようになった。山道はいったん降りてから登り返した。ツツドリが盛んにポッポッポッポッと鼓を打っていた。分岐点から20分ほど歩くと小ポン山413mの山頂に着いた。山頂には赤錆びた鉄のベンチ台のみが2つ残っているだけで、座る板は2つとも無かった。山名表示板もなく、荒れた状況から判断すると、こちらの山に来る人はあまりいないのだろう。
小ポン山を訪れる人は少ないようだ
小ポン山の山頂からの展望は木が成長してよくなかった。わずかに利尻富士方向の木が伐られていたが、それも木の成長が早くて山頂が少し見える程度だった。国立公園だから見晴らしを良くするための木の伐採は難しいのだろうか。大ポン山と小ポン山の2つのポン山に登ったわけだが、わずか30分しか離れていない距離なのに、山の植生が全く異なっているのにはびっくりした。これから甘露泉水までクマゲラを探しながら戻り、旧登山道を下っていこう。
クマゲラを探すなかで地元のガイドから貴重の話が聞けた
旧登山道を降りてきた時に、ひとりの若い女性ハイカーが登ってきた。挨拶をしてクマゲラのことなどを話していると、その女性が言うには、「5月中旬頃から卵を産み始めるので、今はちょうど卵を温めている時期だから、クマゲラも警戒していてあまり姿を現しません。卵がかえる6月上旬から中旬にかけては、クマゲラも雛に餌をやるために活発な動きをしますから、目につきやすくなります。クマゲラを見るのでしたら卵を産む前の4月下旬から5月中旬までか、6月中旬頃が最適です。また、6月は北海道には梅雨がないと言われていますが、蝦夷梅雨といって細かい霧のような雨が降るので、濡れた葉がつやつや輝いて素晴らしいですよ」と説明を受けた。やけにクマゲラ情報に詳しいので「もしかしたらガイドさんですか?」と尋ねると、にっこり笑って「はい。私は地元出身で花のガイドをしております」とのことだった。びっくらぽん。良い情報を得たので、「次回は4月下旬から5月中旬までか、6月上旬から中旬にかけて計画してみます」と答えると、「お待ちしています」との答えをいただいて別れた。卵型の小顔で目元が涼やかな、いつもにこにこしている笑顔が素敵な女性だった。
「戒めの碑」としての征清記念碑
温泉から宿まで歩いて帰る途中で「征清記念碑」というのが目についた。火事で焼かれたように変形した碑の横に利尻ロータリークラブが設置した説明板碑あった。その説明によると「この碑は明治27年8月から28年4月までの間に日本と清国(現中国)との間で行われた戦争での戦勝講和を記念して建てられたものですが、この戦いは朝鮮半島の領土と資源支配、アジア大陸侵攻を目論む日本の外国侵略戦争であった。この戦争がやがて日露戦争そして日本国民を不幸のどん底に陥れた第2次世界大戦の原因に繋がっていった。再び悲惨な戦争を起こさず、平和な世界社会構築への祈りと私達への「戒めの碑」として、また歴史遺産文化財として残すことにした。平成20年6月」と刻まれていた。日本政府は戦争準備の方向に舵を切っているが、地方に行くとこのような当たり前の「平和を求め、戦争に反対」する碑が度々目につくのである。足元にはエゾムラサキという名の忘れな草がたくさん咲いていた。
26日の夕ごはん
宿に戻って食堂でいっぱいやりながら、60歳代後半と想われる男性と話をした。男性は「1カ月前に山口から自家用車で出発し、北上しながら各地の観光地を訪ねて利尻島までやってきた」とのことだった。頭がつるつるてんで顔は陽に焼けて逞しく感じた。「主に道の駅の車中泊で、食事はコンビニが多い」と言った。「今までで一番美しいと感じたのはどこでしたか?」と尋ねると「上高地が素晴らしかった」と言った。確かに上高地の河童橋から眺める残雪の穂高連峰は最高の景色である。私も日本全国色々な所を訪ねているので、男性の訪ねた観光地では話が合った。「明日は雨模様なので利尻島内の観光は諦めて、朝一番のフェリーで稚内に戻り、これからの計画はオホーツク側に出て北海道を南下し、見られなかった函館山の夜景を眺め、本州を南下し富士山にも登って7月中頃に山口の自宅に戻る」とのことだった。今日1日だけでも色々な出会いがあった。これだから旅は面白い。