壊されちゃったね
巣を再建中のツバメ
5月中旬に卵を温め始めたツバメのつがいがいた。雛がかえり子育て中の姿が観られるだろうと楽しみに出かけた。しかし、びっくり。ツバメの巣が撤去されていたのだ。撤去されたのは最近らしく、撤去された場所に再びツバメが巣を作りはじめていた。近くの水たまりから土を団子状に作っては口に咥え、撤去されてしまった所に運んでいたのである。無事に雛が育ったあとならば、巣立ったばかりの雛は自分で餌を捕ることが出来ず、親鳥は必死になって子どもが独り立ちできるまで面倒をみるのだが、周りに巣立った幼鳥はいなかった。
5月中旬に卵を温め始めていたころのツバメ
今春にツバメがこの家にやってきた時、昨年の巣はすっかり撤去されており、ツバメは昨年と同じ場所に新たな巣を作り、卵を産んで抱いていたのだが、再びその巣は家の持ち主によって撤去されてしまった。ツバメの抱卵日数は13〜18日、卵から孵って巣立ちまでが20〜24日といわれている。卵を産んでからおおよそ33〜42日たつと雛が巣立っていく計算となるのだが、巣立ちをする前に撤去されたのだろう。
巣の再建のため、つがいで泥ダンゴを運ぶツバメ
ツバメの子育て時は糞が巣の下に落ちる。そのことが嫌いな人は巣を撤去してしまう。ツバメはそのような家の持ち主の気持ちは分からないので、再びせっせと泥ダンゴを運んで巣を再建している。ツバメの姿はいじらしいのだが、再び子育て中に撤去されることを思うと、なんだか切ない気持ちになる。巣を作らせたくないならば、葉が生い茂った竹を1本、ツバメが巣を掛ける所を覆えばいいことなのだ。ツバメは巣を掛けることが出来なくなるのだ。竹は家から100mと離れていない花見川沿いにたくさん生えているのだが。
泥ダンゴを運ぶツバメ
私が育った群馬の生家も毎年ツバメが巣を掛けていた。軒下に巣を掛けたのではなく、家の中の梁に掛けていたので、ツバメが家の中に自由に出入りできるように、玄関の戸は常に20cmほど開けてあった。ツバメという鳥は不思議な鳥で、どの家にも巣を作るというものではなく、自分が気に入った場所でないと巣は掛けないのである。昔はツバメが巣を掛けると縁起がいいと言われていたものだが、現在ではそのようなことはなくなったのであろう。
畦道に佇むカルガモ
田植えから1ヶ月経った苗は緑を一層濃くしていた。コチドリの鳴き声が聞こえ、シオカラトンボがツンツン飛び、キアゲハが舞っていた。アゲハチョウの舞っている畦道にカルガモが佇んでいた。カエルの鳴き声があちこちから聞こえてきていた。
アジサイが色を濃くしてきた
花札の世界では、2月ウメ、3月サクラ、4月フジ、5月アヤメときて、6月はヤナギと繋がっていくのだが、現実的に咲く花はアジサイだろうか。アジサイが一斉に花を広げだした。まだ咲き始めたばかりで、これから徐々に色を濃くし、最盛期を迎えた花は、そのままの形で花びらを落とすことなくドライフラワーのように枯れていく。ほとんどの花の終わりは散っていくなかで、アジサイはそのまま花の姿をとどめながら色を落とし、やがて枯れていくのである。
桜並木の散歩
年配の男性が車椅子を押していた。その車椅子には2本のストックを抱きながら、女性が座っていた。おそらく男性の妻であろう。男性は木陰を探しながら車椅子を押しているように見えた。桜並木が切れるところでU
ターンして戻ってきた。ふたりが私とすれ違う時に気がついたのだが、男性はちいさな声で歌を口ずさんでいた。女性はその歌声に耳を傾けながら目をつぶり、車椅子を押してもらっていたのである。私は想像した。女性は足腰が弱くなり、ひとりでは遠出ができなくなった。男性は女性を車に乗せ、近くまで車を運転して来て、この静かな桜並木をふたりで散歩しているのだろう。いい風景だと思った。
ただいま生垣バリカンで剪定中
公園に生垣バリカンの音が聞こえていた。公園の咲き終わったツツジを管理会社の人が剪定している音だった。4人の作業員が各所に分かれ.、腰に蚊取り線香をぶら下げて剪定を行っていた。チェーンソーの音と同じ響きが伝わってきていた。お茶の栽培をしている人も、茶の木の剪定に生垣バリカンを使っているが、便利なものを考え出すものだと思う。
メタリックグリーンに輝くハグロトンボ
イトトンボの仲間のハグロトンボが私の目の前の葉っぱに留まった。太陽の光を受けて体はメタリックグリーンに輝いていた。美しいと思った。公園の剪定作業をしていた人たちが休憩時間となり、生垣バリカンの音が止んだ公園には静寂さが戻った。キジバトの物悲しい鳴き声が聞こえてきた。明日は天候が崩れるだろう。