とうとう、新型コロナに捕まってしまった

 

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抗原検査で新型コロナウイルス感染が判明

 

新型コロナウイルスが日本にやってきて3年が経とうとしている。その間にウイルス感染の波は次々にやってきて、現在は第8波が日本列島を襲っている。その間に緊急事態宣言や外出自粛要請、飲食店の開店時間要請や人数制限、ワクチン接種などのさまざまなことがあった。そのようななかでも、私は感染予防対策をとりながら、積極的に外に出て身体を動かすことが体力を維持し、抵抗力を高めることが新型コロナウイルス対策だと考えて行動していたのだが、ついにウイルスに捕まってしまった。新型コロナウイルスへの感染は、潜伏期間があるために感染日と発症日が異なる。そのために、いつ感染したのかが分からないが、感染から発症まで平均して5日と言われている。私の場合の発症日は1月24日である。5日前の1月20日からの行動経過を記録しておこう。

 

1月20日 金曜日

午前中は昨年秋から『日中国交正常化50周年記念・兵馬俑と古代中国』展が東京上野の森美術館で開催されていたので、朝一番の9時半からの枠で予約をとり、妻とともに出かけた。とは王が亡くなった時に、陵墓に一緒に埋葬される人や家や家畜などをかたどった像のことである。展示内容は今から2000年前に秦の始皇帝が初めて中国に統一王朝を樹立した王朝を中心に、秦の前の群雄割拠の戦国時代と、秦の後の漢の時代に陵墓から発掘された兵馬俑や副葬品を約200点展示したものであった。当時の日本の状況と併せて考えると、その文化度の違いは歴然であり、兵馬俑の精密さには圧倒された。

 

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『兵馬俑と古代中国』展内の兵士俑

 

 午後からは東京ドームで開催されていた『ふるさと祭り東京』を娘と一緒に楽しんだ。お祭り広場では、秋田竿燈まつり、青森ねぶた祭、郡上おどり、沖縄全島エイサーまつりが実演されており、全国47都道府県から出されていた名産品をツマミに、首から下げた利き酒用猪口で各県の地酒を思う存分楽しめて満足満足のお祭りだった。

 

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お祭り広場

 

1月21日 土曜日

午前は昨日出かけた『兵馬俑と古代中国』展とふるさと祭り東京』をホームページにアップするための原稿を書き写真を整理した。

 

午後から新宿歌舞伎町のビル7階にある「新宿FACE」で、ボクシング引退イベントがあったので出かけていった。イベントは現在パーソナルトレーナーをしながらイベント会社「HEARTS」の代表をしている星野真生が企画したもので、真生は元プロボクサーであり中途半端に終わったプロボクサー生活へのケジメと、次のステップへ進むための内容だった。真生は尾瀬岩鞍スキー場ロッジのオーナーの息子で、彼がまだ現役だったころ、後楽園ホールで試合があるたびに出かけていって戦いの写真を撮っていたのである。久しぶりにリング上で戦う彼を観たが、眼が真剣だった。あの眼をしていればこれからの人生も大丈夫だろう。招待された子どもたちとお母さんたちで会場内は賑やかだった。

 

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戦いを終えた星野真生(右から2人目)

 

1月22日 日曜日

 翌日が群馬で生活している96歳のお袋の病院受診日なので、その診察に立ち会うために松井田の実家に帰省した。移動は電車なので、総武線・京浜東北線・高崎線・信越線を乗り継いで磯部駅で下車し、弟の出迎えを受けて、そのまま磯辺温泉の公共温泉施設の『恵みの湯』に向かい入浴。風呂上がりには大広間で一杯。夕食は妹家族と一緒に会べた。美味い酒だった。

 

1月23日 月曜日 

お袋の安中公立碓氷病院の受診日なので、それに立ち会うために診察時間に合わせて病院へ出かけた。担当医師の診察結果は「レントゲン写真では骨折の回復状況は殆ど着いているので、今後はレントゲンを撮ることなく、1か月ごとの状況確認で行きましょう。足のギブスは昼には外し、夜だけ着けることにしましょう」ということで診察を終えた。

 

病室にいる人たち

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1か月ぶりに会ったお袋は元気だった

 

診察のあと、磯部駅前食堂で弟と1時間ほど昼食を摂った。来月に再び会うことにして、電車を乗り継ぎ、自宅には17時頃に戻った。酒は飲んでいたが異常は感じられず、家族と共に夕食を食べ、晩酌を終えて床についた。

 

1月24日 火曜日 発症1日目

朝起きると身体全体に寒気がして、喉の奥がチリチリ痛んだ。風邪を引いたのかな?と思いながら朝食の準備をし、家族3人で朝食を終えた。午後から水墨画同好会の定例会があるので、そのなかで検討する『公民館・昆陽だより』のサークル紹介欄に掲載する水墨画同好会の紹介文を原稿用紙1枚に書いた。

 

『公民館・昆陽だより』への水墨画同好会の紹介原稿

 

午後の同好会に出席し、同好会の紹介文と編集委員への対応を話しあった。帰宅後、夕食の材料を買いにスーパーに出かけたあと、同好会の集まりに欠席した会員宅に伺い、次回の集まりに集合写真を撮るので作品を持参するよう伝えた。夕食を準備し、帰宅した家族と一緒に食べたが、新型コロナウイルスに感染しているとは全く思っていなかった。

 

1月25日 水曜日 発症2日目

午前9時30分に昨年から通院している北千葉整形外科に出向き、医師の診察と処方箋を受けた。薬局で薬をもらい、そのあと幕張公民館の図書室に雑誌を返すために公民館に向かう。雑誌を返却したあと、事務所受付で『公民館・昆陽だより』の編集委員にサークル紹介欄の原稿を渡してくれるよう依頼した。

 

今週は日本列島にこの冬最強の寒気団がやってきており、日本列島全体が冷蔵庫の中に入っているような感じになっているので、午後は読書をして過ごした。

 

1月26日 木曜日 発症3日目

朝起きると相変わらず寒気と喉の奥の痛みは続いていた。むしろ喉の痛みは刺すように増している感じだったが、発熱はなかった。外は相変わらず寒いし、体調が良くないことを自覚しているので、自宅で本を読みながら過ごした。

 

今までになかったことだが、夕食の晩酌を3日連続して飲む気にならないでいると、身体が発熱していると感じた。体温を測定すると38.4度だった。寒気、喉の痛み、発熱ときて、ようやく新型コロナに感染しているのではないか?という疑念が浮かびあがった。抗原検査キットが買ってあったので、コロナ感染の有無を調べると、赤線が2本出てきて、どんぴしゃりの感染だった。やっちまった。青天の霹靂だった。

 

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抗原検査で2本線の陽性がでた

 

スマートフォンで検査結果の写真を撮り、すぐにかかりつけの幕張健生病院に連絡すると、「今日はすでに業務を終えているので、明日の朝8時半から発熱外来受付に連絡してください」とのことだった。コロナ感染ということが分かったので、同居している家族と居住スペースや食事などの分離体制をとった。私はいつどこでコロナに感染したのか、全く分からなかった。

 

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市販されている抗原検査キット

 

なお、新型コロナウイルスの抗原定性検査キットには、国が承認した「対外診断用医療品」と、国の承認を受けていない「研究用」の2種類があり、「対外診断用医療品」検査キットは薬剤師が常駐する薬局で売られており、1本1200円から2000円するのに対して、「研究用」検査キットはネットで売られており、1本300円から500円と安価である。もちろん厚労省や日本消費者センターでは「対外診断用医療品」検査キットを推奨している。私のところでは1200円の「対外診断用医療品」検査キットを常備している。

 

グラフィカル ユーザー インターフェイス, アプリケーション

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群馬全国旅割予約はキャンセルした

 

新型コロナウイルス感染が判明したので、29日の日曜日から尾瀬岩鞍に3泊4日でスキーに出かけることになっていたが、その中止連絡を一緒に出かける友と宿泊するロッジに連絡した。スキー用具は、すでに往復宅急便で送ってあったので、ロッジの女将さんにそのまま送り返してもらうようにお願いした。同時に全国旅割キャンペーンのキャンセル手続きを取った。非常に残念だったが、他の人に感染を広げて迷惑をかけるわけにはいかなかった。

 

1月27日 金曜日 発症4日目

朝36.3度、昼36.7度、夜38.3度、

8時半に幕張健生病院の発熱外来の受付に連絡すると「朝一番の9時の枠が空いてるのですぐ来てください」と言われ、妻の運転で病院に向かった。病院の玄関先で再度連絡をすると、別棟から職員がやってきて、通常の受診とは違う場所に案内された。問診票を記入したあとパルスオキシオメーターで血中内酸素濃度を測定し「97」のデータが出ると、看護師は「岩井さんは体力ありますねぇ」と驚いていた。「趣味で登山をやっていて、しょっちゅう山に登っているからパルスオキシオメーターも持ってるよ」と伝えると、看護師は納得したようだった。

 

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パルスオキシメーターでの血中内酸素濃度の測定

 

医師から色々と聴かれながら、聴診器による胸の呼吸音の確認は「随分、綺麗な音です」と。喉の奥を目視確認し「だいぶ腫れていますね」と。私が撮影した抗原検査結果のスマートフォンの写真を見て、PCR検査をすることなく「新型コロナウイルス感染です」と診断した。そのあと発熱解熱剤としてロキソプロフェンNa錠、喉の痛み緩和剤としてトラネキサム酸錠、咳の鎮静剤としてアスベリン錠、痰切り剤としてアンブロキソール塩酸塩錠の合計4種類の錠剤が処方された。

 

カレンダー

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処方された薬剤は4種類

 

千葉市保健所への報告は「65歳以上なので病院側で報告します」とのことで、65歳以下は自分で保健所へ報告するようだった。昨年の秋に塩野義製薬が新型コロナウイルスの治療薬「ゾコーバ」を開発したニュースが流れたが、その治療薬の医療現場への流通を待たずして、病院ではこれまでの3年間にわたる新型コロナ治療によって、十分に対応できる状態になっていることが分かった。病院の看護師から「外出自粛を伴う自宅療養期間は7日間のため、30日の月曜日まで安静にしていてくださいね」と伝えられた。医師も看護師も感染対策を取った物々しい格好ではなく、マスク、フェイスガード、手袋はしているものの普通の格好をしていた。医療費用は国が全て負担するというので帰宅した。

 

新型コロナウイルスの療養証明書

 

自宅に戻り安静にしていると携帯電話へのショートメールによって『労厚省コロナ感染者等状況把握管理支援システム』(My HER-SYS)へのデータ投入依頼が届いた。My HER-SYSにはコロナ感染症に罹患したことの療養証明書が添付されていた。療養証明書を会社に提出すれば、勤め人は会社を休むことができるのだろう。それからはMy HER-SYSを使って、質問に答える形で朝昼晩と1日に3回の健康状態を報告するようになった。データを投入しないと催促のメールが届く念の入りようだった。

 

喉の痛みが尋常の痛みではなく、唾を飲み込むのがやっとの状態で、食事もほとんど取れなくなってしまったが、クリームパンと焼きそばを少し食べた。夕方から咳がますますひどくなっていった。

 

1月28日 土曜日 発症5日目

朝37.4度、昼36.4度、夜38.5度、

喉が痛くて、唾さえもほとんど飲み込むことができず、盃一杯の白湯を飲むのに1分以上かかる状態となっていた。

 

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厚労省コロナ感染者等状況把握・管理システム

My HER-SYS

 

午前中に千葉市保健所健康観察センターから健康状況把握の電話が入るようになった。前日に私がMy HER-SYSに投入したデータを担当者が確認したあとに、さらに細かな健康状態の確認や、こちらの質問に応える形でサポート対応してくれるものだった。大勢のコロナ患者に対応するセンター側は大変だろうが、患者にとってはありがたいシステムだと思った。また65歳以上の高齢者にとってスマホを自在に操ることが苦手の人が多いようなので、このような電話によるサポートを続けているのだろうと思われた。

 

テーブル

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My HER-SYSに毎日、朝昼晩にデータを投入した

 

喉が痛いのと身体を動かしていないために、食欲はあまり進まないものの、妻がお粥を作ってくれた。好きなクリームパンと一緒に食べた。周りから聞こえてくるのは、新型コロナに感染しても発熱は1日で、翌日には熱が下がったなどと比較的に軽症のイメージだが、私の場合は3日間も38度台が続いていた。水分をほとんど摂ることができないために、小便の回数も午前1回、午後1回、量も半分に減り、色が茶色に変わっていった。夜も咳が続くために睡眠が浅くなり、日中もボーッとうつらうつらしている状態だった。

 

1月29日 日曜日 発症6日目

朝36.4度、昼36.4度、夜37.0度、

健康観察センターから電話が入り、「発熱解熱剤は飲んでいますか?」と聴かれたので「37.5度以上になると飲みますが、現在は飲んでいません」と伝えると、「発熱解熱剤は鎮痛剤の効用もありますから、喉があまりにも痛い時は解熱剤を飲んでも構いませんよ」とアドバイスを受けた。また「水分が摂れないようだと医師を派遣して点滴を打つ必要があるかどうかの相談窓口もあるので、点滴が必要だと思った場合は、是非連絡をしてください」とサポートが入った。

 

クリームパンもお粥も飽きたので牛丼を作ってもらった。食べる量は少ないがゆっくり少しずつ噛み、飲みこむことができるようになった。体温が夜になっても38度まで上がらないようになった。咳は相変わらず続いていたが、喉の痛みが和らいできていたので、水も500ml 飲めるようになった。ようやく回復の兆しとなり、光が見えてきたようだった。

 

1月30日 月曜日 発症7日目

朝36.1度、昼36.3度、夜36.1度、

喉の痛みはずいぶんとやわらぎ、水分も1000ml ほど飲めるようになった。食事も進むようになってきていた。水分とは別にコーンスープやオニオンスープも飲んでいた。

 

健康観察センターからの状況確認電話が続いているが、電話も療養期間が終わる今日までだろう。咳以外はずいぶん楽になってきたことを伝え、今までの対応ありがとうございました、とお礼を言った。

 

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保健所から届いた「明日から自宅療養解除」のメール

 

今日が発症7日目で、今日1日平熱が続けば明日から自宅療養が解除される旨のメールが届いた

 

咳は相変わらず酷いのが続いているので、用法では毎食後の服用となっていたが、咳切りの薬を夜中に2錠のんだ。

 

1月31日 火曜日 発症8日目=自宅療養解除

朝35.8度、昼36.1度、夜36.4度、

自宅療養は今日解除された。昨日届いた千葉市保健所からの自宅療養解除メールを読み直してみると、自宅療養期間としては7日間で終了するが、感染後10日間が終了するまでは感染リスクが残存するので、検温などの自己による健康管理と高齢者施設への訪問などのハイリスクの回避、感染リスクが高い場所の利用や会食の回避、自主的なマスク着用や手洗いなどの感染予防対策をお願いします、という注意書きが書かれていた。

 

今回、私自身が新型コロナウイルスへ感染・発症して感じるのは、発熱で困ったことではなく、喉の痛みが特に強烈で、水分や食事を受けつけなかったことだ。私は持病も基礎疾患もないが、持病や基礎疾患のある高齢者が新型コロナウイルスに感染・発症した場合、高熱が続き、水分や食べ物が摂れなくなるということは、身体へのダメージがすごく残るように思われた。私としては十分に注意をしていたつもりだったが、実際に新型コロナウイルスに感染してしまったのだから、どこかにウイルスの付けこむ隙があったのだろう。久しぶりに伸びっぱなしなっていた髭を剃ると、頬がげっそり落ち込み、体重は3kg減っていた。

 

5月にも新型コロナウイルスは感染症分類の2類から5類に引き下げられ、インフルエンザウイルス並の対応となるようだが、ウイルス自体が日本あるいは地球上から消えてなくなるわけではなく、これからも変異を繰り返しながら私たちの周りに存在し続けるのであるから、今回の経験のうえに改めて感染予防対策を実践していくことが重要だと思った。

 

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