子守神社例大祭パトロールに出かけた

 

子守神社神輿渡御

 

 幕張町2丁目に子守神社がある。祭神は素盞嗚命・稲田姫命・大国主命であり、毎年9月15日〜17日の3日間が例大祭だ。祭りの期間中は参加者の安心安全のため、防犯パトロールが17時〜21時まで行われている。私は幕張地区スポーツ推進委員として幕張中学校区青少年育成委員会理事をやっているので3日間のうち、1日目と2日目の18時〜19時の防犯パトロールに出かけた。1時間単位で参加できる希望の時間帯でスケジュールが組まれるのだ。パトロールに出るのは地区内3つの小学校教諭、PTA役員、青少年育成委員である。子どもたちにとって楽しみなのは夜店の屋台である。数年前は夜店を控える風潮もあったが、今年の出店数は多く、パトロールの合間に数えてみたら124軒の出店だった。子どもたちは友達同士や家族連れでそぞろ歩きも実に楽しげに、あちこちの夜店に顔を突っ込んでいた。私は緑色の防犯パトロールキャップを被り、笛を首から下げ、左腕に黄色の青少年育成委員会の腕章を巻き、右手にチカチカ警備灯を持つという姿であり、パトロール中に顔見知りの人に度々出会った。

 

 質問も飛んできた。1日目は、パトロール中に「神輿の揉み出しはどこでやっていますか?」というもので、子守神社前の県道が500mほど交通規制され神輿の練り歩きや出店が出るのだが、質問された時は子守神社から出た神輿が練り歩いている時だったので、「200m先でやっていますよ」と即答するとペットの犬を抱いていた女性は神輿に向かった。2日目は、子守神社境内にいたときに「昨日、娘が財布を落としたのですが何処に尋ねればいいですか?」というものだった。私は、「祭りでは臨時交番は出ないのでパトロール中の警官がいますから問い合わせて見て下さい」と答えた。礼を言って女性は去ったが、あとになって考えると子守神社鳥居脇に設置されていた例大祭本部にも問い合わせるように助言するべきだったと反省した。私がパトロールした時間帯は時間的に早かったこともあり大勢の子どもたちが繰り出していた。

 

例大祭は124の出店で賑わった

 

 今回の例大祭に出た神輿とは別に子守神社には大きな神輿がある。その神輿は数え年で7年ごとに行われる三山7年大祭に繰り出すものだ。今年2015111日〜2日の両日に7年振りに行われる。そこで子守神社境内の掲示板を見てみると、式年連合大祭(七年大祭)については、幕張で行う磯出安産神事と三山(船橋市三山)の二宮神社への御礼参り神事の二つから成り立っている。文安2年(1445年)千葉介十七代幕張城々主、陸奥守平康胤は、奥方が懐妊した時、十一カ月が過ぎても出産の兆候がないのを案じ、9月16日に子守神社(幕張)二宮神社(三山)子安神社(畑)三代王神社(武石)の各神主を馬加の磯辺に呼び寄せ、産屋を設けて出産祈祷を執行させたところ、その夜、海中より龍灯が揚がり、子守神社へ飛来し、翌日、七つ時(午前4時頃)に無事男児を出産した。康胤初め家臣共は大いにこれを喜び、御礼として三山の地に四社を集めて祭りを挙行した。更に享保12年(1727年)からこの安産神事自体も祭事として同時に執行するようになった。いつの頃からか、時平神社(大和田・萱田)、八王子神社(古和釜)、高津比盗_社(高津)、菊田神社(津田沼)、大原大宮神社(実籾)の五社が新たに加わり、それぞれの役割を持った現在の形になった。このように現在は九社が集まる御礼参りを先に行い、その後、幕張に四社が集まる磯出安産神事を行っている。
各神社の役割については、二宮神社(父親)・子安神社(母親)・子守神社(子守り)・三代王神社(産婆)・時平神社(息子)・八王子神社(息子)・高津比盗_社(娘)・菊田神社(伯父)・大原大宮神社(伯母)となっている。

 

 私たち家族が幕張に来てから22年たつが、まだ1度も7年大祭の幕張で行う磯出安産神事を見たことがない。その磯出安産神事は夜中から明け方にかけて行うもので、私がまだ現役の会社員であったことと11月の寒さを考えてのことだったが、今年は既に会社員も卒業しているので防寒対策をしたうえで見学に出かけようと思っている。