古賀絵里子写真展を観に行く
写真展『一山』のパンフレット表紙
古賀絵里子という女性写真家がいる。上智大学フランス文学科を卒業した年齢33歳の人だ。写真は大学生の時から撮りだし、毎年個展やグループ展で作品を発表している。今回の個展は、東京広尾の『エモン・フォトギャラリー』で開かれ、高野山に毎月1週間のペースで5年間通いつめて撮りためた春夏秋冬の写真の中から選んだ45枚を展示したものだった。
私が古賀絵里子という女性写真家を知ったのは、BS-TBSで土曜日の23時から放送されている『おんな酒場放浪記』という番組で女性レポーターとして登場したからである。同じBS-TBSで月曜日の21時から放送されている『吉田類の酒場放浪記』という番組が好評なので、その女性版ということで2012年からスタートした番組が『おんな酒場放浪記』である。
『おんな酒場放浪記』には3人の女性レポーターが登場する。ファッションモデルの倉本康子、料理研究家の栗原友、そして写真家の古賀絵里子である。その3人が交代で酒場に入り自分で飲みながらお客さん、女将さん、板さん、などと言葉を交わしながら店を紹介する15分番組である。私は毎回録画をしながら観ている番組であるが、その3人のレポーターの中で私は日本酒好きのホンワカとした会話をする古賀絵里子のレポートが一番好きである。私はその古賀絵里子が撮った写真をまだ一度も観たことがなかった。
購読している『毎日新聞』の4月23日朝刊の「遊ナビ」面に古賀絵里子展「一山」の紹介が載った。私は、待ってました、とばかりに出かけていった。地下鉄日比谷線の広尾駅から歩いて5分ほどのところにあるビルの地下1階に『エモン・フォトギャラリー』があった。地下1階といっても採光は充分で、明るくこぢんまりとしたスタジオだった。私が階段を降りて行くと写真が展示されている部屋から外の打ち合わせ卓にコーヒーを運んでくる小柄の女性が目に止まった。ひと目で古賀絵里子本人であることがわかった。私は「古賀さん、こんにちは」と挨拶すると、「こんにちは」という元気な声が戻ってきた。挨拶を済ませると私は写真展示室に入った。展示されている写真はパネルに入れられ、いずれも正四角形のものだった。左に大きな写真が4枚、中央に15枚、右に10枚、右奥から壁を回り込む形で10枚・・・という形で展示された写真の1枚、1枚を眺めていった。
高野山は弘法太師空海が金剛峯寺を建立し真言宗を開創した日本仏教の聖地であり、2004年にユネスコ世界文化遺産に登録されたことでも知られ、最近は観光客で賑わっているという。私が彼の地を訪れたのは30数年前だが、鬱蒼とした森、苔むした石造物、凛とした冷え切った空気、などが思い出される。高野山は女性禁制の修行の山でもある。古賀絵里子は山内にアパートを借り、5年間にわたる真摯な対応と撮影を続けたことより写真家として初めて迎え入れられた女性だという。
展示されていた45枚の写真には、親子、僧侶、寺、墓、仏像、花、家族、植物、生物、肖像画など森羅万象、高野山で見ることのできるものが写し出されている。東山魁夷の絵を彷彿させるグラデーションを効かせた雲海に浮かぶ山々と静かに登る朝日、深々と本殿の屋根に降り積もる静寂な夜、真っ青な秋空に映える朱色に熟れた柿、黄色に輝く秋色の森、霧の中に浮かび上がる多宝塔、春爛漫の桜花、今にも爆発しそうな妊婦の腹、パンフレットの表紙を飾った枝垂れ桜の前で物思いにふける僧侶、焚き火の残り火、ハレーションがかかり飛沫をあげながら滝壺に落ちる水流、一枚一枚撮影の状況を想像しながら観ていった中で私が一番気に入ったのは、廊下に散った桜の花びらだった。
パンフレットの挨拶で古賀絵里子は次のように述べている。
「なぜそこまでして撮影に通うのか」と問われれば、「こちらが本気にならないと、相手も本気で返してくれない」と答えるだろう。人に対しても、自然に対してもそれは変わらない。 ・・・続けることで自分も相手も変化するし、その変化の過程にこそ驚きや成長、感動やシャッターチャンスが潜んでいる。そこを端折っては結局浅いものしか見えてこない。対象と真剣に向き合うこと、自分の心に忠実であること、続けること、それらがものづくりの根幹にある。と。
今回展示された45枚の写真が全て載っているパンフレットを購入した。打ち合わせを終えた古賀さんにサインを頼むと快く応じてくれた。優しい字である。