稚内港・北防波堤ドーム

 

012-稚内港・北ドーム防波堤

小雨に濡れる稚内港北防波堤ドーム

 

島に渡るため稚内フェリーターミナルを訪れるのは今回で4回目である。相変わらず人けが少なく小雨が降っているせいか寂しくも感じられる。1回目は利尻島に観光で渡った30年前。2回目は新婚旅行で利尻島に渡った26年前。3回目は銀婚式記念で礼文島に渡った昨年。4回目が今回で目的は利尻岳登山である。

 

飛行機とフェリーの乗り継ぎ時間に4時間のタイムラグが生じた。日本で一番北にあり観光客相手の魚市場「北市場」がフェリーターミナルから歩いて5分ほどのところにある。ちょっと覗いてみたが品数が少なく値段が高い。その市場の2階にある「夢広場」で昼食を摂った。刺身定食に冷酒1本である。以前もこの食事処で昼食を摂った記憶がある。ここの刺身定食は盛りがいい。新鮮なホッキガイ、イカ、ホタテ、マグロ、ボタンエビに地魚の刺身が加えられ、さらに煮ホタテ、味噌汁、ご飯、香のものが付いている。美味い。

 

007-稚内・夢広場の刺身定食

夢広場の刺身定食

 

ほろ酔い気分で港の北側に造られているドーム型防波堤に向かった。正式名を「稚内港北防波堤ドーム」という。全長427m、高さ13,6m、70本の円柱が連なる半アーチ式型ドームは1936年(昭和11年)に完成した。古代ローマ回廊を連想させる世界的にも類を見ない建造物として注目されているという。稚内港のシンボルとしてJR稚内駅から徒歩5分のところに建っている。

ドーム内を往復しながらウオーキングに熱中する中年おじさん。ゆっくり話しながら歩いている若きふたり。サイクリング中に寄った若者。ドーム内中央に単独旅行者の緑色のテントが一つぽつんと張られていた。

 

以前来た時には気がつかなかったが、防波堤の前にサハリンのコルサコフ(大泊)まで連絡船が就航していたことを示す記念碑が建っていた。日本の第2次世界大戦敗戦(1945年)まで現在のサハリンは樺太と呼ばれ、その南半分は日本の領土とされ多くの日本人が住んでいた記録や写真が資料館などを訪れると残されている。今回、利尻島に渡って登山の合間に訪れた「カルチャーセンター&りっぷ館」の2階展示室にも当時の模様を示す多くの写真が展示されている。なお、定期連絡船は日本の敗戦とともに途絶えていたが50年後の1995年に復活し、6〜9月の夏の期間のみ28往復56便が就航している。

 

【メール】

アッコは新婚旅行でこの北ドーム防波堤で写真を撮ったのを覚えているだろうか。昨年礼文島を訪れた時はここに来なかった。26年ぶりに訪れてみたがデザイン的に素晴らしい防波堤だと再認識した。小雨だが結構訪れる人が多い。

 

新婚旅行時に訪れた北防波堤ドーム(1986年)

 

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