アフリカ大陸のてっぺんへ
キリマンジャロ山キボ峰:ウフル・ピーク(5895m)
月があまりにも輝きすぎて空の星が見えない。満月の夜、白い光に照らされた斜面に続く登山道を登っていく。外気温はハットを出発する時は0度であったが全く寒さは感じられない。私は最終アタック時の登山服は防寒の観点からスキーウェアにしようと考え準備しました。上は、速乾性の下着、長袖シャツ2枚、フリース、薄手のダウン、その上にスキーウェアを着込みました。下は、トランクス、速乾性タイツ、保温タイツ、スパッツ、その上にスキーズボンを穿きました。アルパカの帽子を被り、手袋は二重で、靴下も2枚重ねにした全身防寒スタイルだった。登山道を見上げると他グループのヘッドランプの光が右に左にゆっくりと動いていくのが認められる。
ハットの出発は23時15分だった。1時間登ると5分の休憩を目処にツウェンディ・ポレポレ(出発・ゆっくり、ゆっくり)の掛け声とともにゆっくり登っていく。登山リーダーはロバートである。最初から個人ポーターを依頼した1人の他に登頂日のみ個人ポーターを依頼した人が4人おり、合わせて5人の個人ポーターとガイド3人が私たち9人の登山隊に対してのサポーターだった。
キボ・ハットの標高は4710mであり、目指す最初のギルマンズ・ポイントの標高は5681mである。標高差約1000mを1時間150mずつ登っていくペースである。計算だと6時間40分で登りきることになる。
登頂日の行程は朝ホロンボ・ハットからキボ・ハットまで登り、4時間の仮眠後に登頂開始したわけだから身体はかなり疲れていた。時たま睡魔も襲ってきた。堤隊長は、「みなさん眠らないように声を出しましょう」と「元気ですか〜」と隊員を奮い立たせようと声をかけ続けるが、隊員たちの応答する声は時の経過とともにしだいに小さくやがて声も出なくなっていく。
東の空の水平線が群青色から白く輝き始め、やがてオレンジ色へと移り変わると雲海の中から変形したオレンジの玉が浮かび上がってくる日の出を迎える。風もなく静かな夜明けだ。登山者はみな静かに上がってくる太陽を見ている。神々しい光景が静かに広がっている。やがて輝きを増した太陽がすっかり雲海の上に出てしまうと登山者は山頂へ向かっての登山を再開する。
私たちがギルマンズ・ポイントに到着したのは6時30分。キボ・ハットから登りだしてから7時間経過していた。クレーターとなっている山頂は荒涼としていた。遠くに朝日に白く輝く氷河が見えた。ギルマンズ・ポイントの標柱を背景に登頂記念写真を撮った。気温はー8度だったが全く寒さは感じなかった。山頂へは息も絶え絶えという感じで辿り着いたが、暫く休むと活力が湧き上がってきたので、ウフル・ピーク登頂3度の経験を持つ堤隊長の「これから山頂までの登りの2時間は今までの登りよりも辛く苦しく厳しいのですがウフル・ピークまで行く人はいますか?」の問いかけに「はい!」と手を挙げたのは私一人だった。隊員たちは5685mという未体験ゾーンに疲労困憊でした。
ギルマンズ・ポイントからウフル・ピークは遥かかなたに見えた。ウフル・ピークまでの登山道は頂上クレータを右に見ながら、お鉢の縁に添う形で岩場を回りこみながら徐々に高度を上げて行く。左手には縦縞の入った氷河が見える。厚さはどのくらいあるのか分からない。雲ひとつない快晴のもとで白く輝いている。
ギルマンズ・ポイントから最高点に向け岩場を回りこみながら登って行きます。途中でマチャメ・ルートからの合流点のステラ・ポイント(5756m)を通過しました。ここまで来て下山した仲間もいました。朝日に白く輝く美しい氷河を左手に更に高度を上げ、下山してくる欧米人の人たちと擦れ違いながら、とうとう8時30分にアフリカ大陸最高地点のウフル・ピーク(5895m)に着きました。アフリカのてっぺんに立ったのです。
私は氷河を見たのは初めてでした。この氷河を見るために私はキリマンジャロにやってきたのです。今から100年前に山頂の全てを覆っていた氷河も、20年後には地球温暖化のために消滅してしまう、と言われているのが嘘のような巨大な氷河が目の前にありました。確かに昔の写真と現在の写真を見比べると山頂の氷河が急速に縮小しているのが分かります。キリマンジャロ山頂から氷河が全て消失してしまったら荒涼としたクレーターが残るだけの味気ない山頂となってしまうなぁと思いました。
頂上で登山ガイドと堤隊長とともに記念撮影をしました。頂上の小石を拾い壮行会で寄せ書きしてもらった旗に載せ、氷河を背景に寝転がっての記念写真も撮りました。日本の山頂でも感じる充実感が、クレーターの下から吹き上がってくる冷たい風にあたるとき、アフリカ大陸の最高点に立っているんだという達成感が、今までになく特別に感慨深いものとなりました。
また、以前はウフル・ピークにはタンザニアのジュリアス・K・ニエレレ初代大統領の「我々は、彼方国境に輝くキリマンジャロ山頂に、灯火を掲げよう。絶望あるところに希望を、憎悪あるところに尊厳を与えるために・・」という言葉が記された銅板レリーフがあったとのことですが、いまはどこかに持ち去られてありません。「キリマンジャロ=輝く丘」が、アフリカ植民地政策から脱却・独立するためのシンボルとして、キリマンジャロを朝に夕に見上げて生活する多くの人たちの心に輝かしく光っていたことの意味を私は考えました。
へミングウエーが『キリマンジャロの雪』として描いた氷河は、100年前にはキリマンジャロ山の山頂の全てを覆っていたという。しかし、今、目の前にある氷河は山頂の所どころに散らばった形で残骸が残っているという表現がピッタリする。それでも赤道直下に厳然と氷河は存在している。私はこの氷河を見るために一歩一歩登ってきたのである。白く輝く氷河は美しい。氷河を暫く眺めていた。東側に端正なピラミダルな容姿のメルー山がすっきりと立ち上がっていた。今度はメルー山に登ろうか、という淡い気持ちを胸に下山の途についた。