君のひとみは10000ボルト

 

アカハラの瞳は10000ボルト

 

 1月8日 晴れ

 40年前、資生堂化粧品のCMソングで「君の瞳は10000ボルト 地上に降りた最後の天使」という歌が流行ったことがあった。アカハラの黄色いリングをつけた瞳を見ていると、「君の瞳は10000ボルト」の歌を思い出した。メジロの白いリングやアカハラの黄色のリングは眼を引き立たせる。アカハラは魅力的な瞳を持つ野鳥だと思う。

 

秋から冬にかけてスズメは群れる

 

 南北に長い日本列島の北海道から沖縄までに棲む野鳥は、日本鳥類学会によると2020年3月時点で633種類が確認されているという。その中で日本に棲む又は定期的に渡ってくる鳥が約300種類、不定期又はごくまれに渡ってくる鳥が333種類とされている。野鳥たちは自然の環境によって棲む場所が決まっている。大別すると、@湖や沼、河川、干潟に棲む鳥、A草原に棲む鳥、B森や林、高山に棲む鳥、C海に棲む鳥、などに分かれるが、幕張周辺の自然は、雑木林、池、田んぼ、畑、川、河口、海岸などの環境があり、そこで見られる野鳥は、@の湖や沼、河川、干潟の周辺に棲む里山と水辺の鳥である。

 

求愛のダンスを踊るタンチョウヅル 2019年2月撮影

 

野鳥観察には2つの方法がある。1つ目は定点観察である。例えば池などの水場に訪れる野鳥を1箇所に腰を据えて観察する方法である。湖畔に建てられた野鳥観察小屋などはその一例である。2つ目は移動観察である。1箇所に固定することなく、歩くルートをおおよそ決めて、歩きながら野鳥を観察する方法である。私が行っているのは2つ目の移動観察である。歩くルートで3km、5km、7km、10kmなどの距離を設定している。この移動観察方法を取ると、バードウォッチングにウォーキングが足されて健康にも良いと考えている。

 

ただいま食事中のムクドリ

 

 私はバードウォッチングで出会った野鳥の写真を撮影しているが、私が撮りたい写真は、鳥類図鑑のような動きがなく固まった野鳥の姿ではなく、食べる、翔ぶ、羽ばたく、浴びる、さえずる、歩くなど、動きのある野鳥の生態が撮影できたらいいと思っている。それと野鳥の眼である。丸いつぶらな瞳が写せたらいいと思う。

 

なぜか尾羽が抜けてしまったキセキレイ

 

 キセキレイの姿を撮ることができた。セキレイの中でもキセキレイの数は少なく、めったに出会うことがない。幕張に棲む3種類のセキレイの中でキセキレイが1番美しいと思う。セキレイは尾羽が長くバランスのいいスタイルだが、写真を撮ったキセキレイはなぜか尾羽が抜けてしまっていた。私の群馬の生家にはシュロの木に毎年キセキレイが巣を作っていた。子どものころ遊び道具のパチンコで狙いを定めて撃ったところ、見事に命中しキセキレイは絶命してしまった。その時は私自身が一番びっくりしたのだが、今では可哀想なことをしたと思う。

 

2番穂の落ち籾を食べていたハシボソガラス

 

幕張にはハシブトガラスとハシボソガラスの2種類のカラスが棲んでいるが、ハシボソガラスが2番穂の落ち籾を食べていた。子どものころ大きな杉の木に登り、カラスの雛を取ったことがあった。雛が口を開けると本当の真っ赤だった。今まで見た赤色の中で最も赤かった。その時から半世紀たとうとしているが、今でも雛の口の中の赤色を強烈に覚えている。雛を抱えて杉の木から降りる時に、親ガラスが執拗に攻撃してきたことを覚えている。その雛を秘密裏に飼っていたが、私の親父に見つかり仕方なく放したことを覚えている。

 

いつもゆったりのんびりしているキジバト

 

 子どものころポケットにはいつも肥後守があった。折りたたみ式ナイフである。小学校では肥後守で鉛筆を削った。放課後は肥後守とタコ糸があれば、簡単に野鳥を捕まえる罠ができた。その罠に一番よくかかるのがキジバトだった。捕まえたキジバトは羽をむしって焼いて食べた。一昨年、六本木のワインバーのメイン料理がピジョンだった。日本では殆ど食べられていないハトの料理であるが、フランスでは高級グルメの定番とのことで、そのハトの肉を一口噛んだ時、子どものころに食べたキジバトの味を思い出した。同じ味だったのである。

 

まれに渡来するアメリカヒドリガモ

 

 顔が茶色のヒドリガモに混じって頭全体が白く顔が緑色のカモがいた。初めて見るカモだった。珍しいカモだと思って姿を写して帰宅後に調べてみると、アメリカヒドリガモの雄だった。まれにしか日本に渡来しないカモとのことだ。出会えてラッキー!顔の色が違うだけで形や大きさはヒドリガモと同じだった。のんびり海藻類を食べていた。

 

子どもころアオジを飼ったこともあった

 

 私が子どものころは、鳥好きの人はウグイス、メジロ、ヤマガラなどの野鳥を捕まえて自宅で飼っていた。私も野鳥を飼っていたが鳥籠は自分で作った。鉈で竹を割り、肥後守で細いヒゴを作り、錐で穴をあけて鳥籠を組み立てた。その鳥籠で罠や網や鳥もちで捕まえた野鳥を飼っていた。しかし時代は変わり、自然保護思想の広がりや日本鳥類学会、日本野鳥の会などの働きかけで「鳥獣保護管理法」が改正され、2012年4月からは全ての野鳥の飼育が禁止された。幕張でもヤマガラを飼っていた家があったが、今では籠の鳥はいなくなった。「籠よりも やはり野におけ 鳥の声」というわけである。

 

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