君の瞳はエメラルド
緑の眼が魅力的なカワウ
11月13日 晴れ
木々の葉もずいぶん落ち、朝晩は一層冷え込むようになった。秋も日一日と深まり、冬鳥の姿も多く目にするようになってきた。私はカワウの眼を撮ろうとカメラを構えていた。すると、あの鳥の名前はなんですか?と私の背後から声がかかった。カワウです、と答えた。ああ鵜飼いの鵜ですね。いつもここに3羽、留まっているんです。と言いながら男性は去っていった。ずぅーと昔、松田聖子の歌のなかに「見上げながら
うるんだ瞳は ダイヤモンド」というのがあったが、カワウはエメラルドのように輝いている。
バンの若鳥がゆったり泳いでいた
オオバンは身体全体が真っ黒クロスケで、眼が真っ赤なのでチョット不気味に感じる。小型のバンも同じ色をしているが、若鳥は茶色の翼で穏やかな印象を受ける。身体もオオバンに比べると少し小さい。北の国から長い距離を渡ってきたので、のんびりと羽を休めていた。
ハシビロガモを見ていると、嘴が大きすぎて邪魔にならないのだろうか?という疑問が出てくる。嘴がヘラ状になっているので、川底などの泥を一気にすくい取りながら、中に潜んでいる虫などを探すのではないか、と想像したが外れた。実際は水中のプランクトンや小さな草の実などを飲み込み、フィルターで濾しながら餌としているとのことだった。
イソシギが餌を探していた
チチチチと小さな鳴き声とともにイソシギが汀に舞い降りた。私のいる対岸だった。すぐにカメラを向けてシャッターを切った。イソシギも冬鳥として幕張にやってくる。今日は1羽だけだったが、幕張の浜に行けば、数10羽の群れと出会うだろう。
黒い顔のセグロセキレイ
幕張周辺ではハクセキレイには度々出会うのだが、同じセキレイ科のセグロセキレイにはほとんど出会わない。数が少ないのだ。久しぶりにセグロセキレイに出会った。眉が白く、顔が黒いのでハクセキレイとの違いが分かる。スマートな野鳥だと思う。
カイツブリは「水遁の術」が得意だ
私の子どものころはチャンバラ時代劇が大人気だった。忍者が出てくると「水遁の術」を使った。水面を歩き、水に潜って相手の裏をかくのだ。体が小さいカイツブリは、水に潜るのが得意である。身の危険を感じると、すぐに潜ってしまう。次に頭を出すのは10mも先の水面になるのだ。カイツブリは水鳥の中の忍者である。
サクラの枝で囀っていたアオジにビックリ
私が育った群馬県では、アオジのことをシトトと呼んでいた。アオジは藪に棲んでいたので、ヤブシトトとも呼ばれていた。幕張でバードウォッチングをしていても、アオジの姿は常に藪の中にあった。しかし、桜の木の梢で鳴いていた姿を見た時はビックリした。アオジはホオジロの仲間なので、木の枝で鳴くこともあるはずである。帰宅後に野鳥図鑑で確認すると、木の枝や梢、電線などに留まって囀ることもある、と解説されていた。知らなかった。目から鱗だった。
ただいま食事中のカルガモ
カルガモが食事中だった。カルガモは水草や藻などを食べる。そのため水中に頭を突っ込みながら餌を探すのだが、それにしても面白い格好で食事をしている。「頭かくして、尻かくさず」
という諺があるが、カルガモの食事はまさにこの諺にピッタリだ。
ただいま食事中のヒドリガモ
ヒドリガモが一心不乱に岩のりを食べていた。こちらも食事中だった。波に足を洗われ、しぶきをかぶりながらも、それにめげずに岩のりを食べていた。毎日毎日生きるために食べている。海が荒れると食事も出来ず、お腹がすくだろうなぁと思う。
イソヒヨドリの雌は地味な姿だ
イソヒヨドリの雌が防波堤の上で何かを探していた。私がイソヒヨドリと初めて出会ったのは、東京竹芝桟橋から南へ1000km離れた東京都小笠原村母島でのことだった。背筋をピンと伸ばし、動きはきびきびしていた。イソヒヨドリの雄は、青みがかった灰色の頭に胸は赤茶色をしている。雄はとても目立つのだが、雌は全体が地味の灰色だ。恋の季節になると、イソヒヨドリの雄が歌う声は、とても複雑で哀愁を帯び、耳に優しく届くのだ。
わたし、眠りたい
スタンディングサーファーがやってきた。後ろに男の子が乗っている一艘のボートを曳いていた。サーファーが漕ぐボートには女の子が寝ていた。親子で遊んでいたが、子どもたちは遊び疲れたのだろう。頑張っているお父さんがいた。
帰ってきたユリカモメ
ユリカモメが戻ってきた。ユリカモメも旅鳥である。数を数えると30羽だった。ユリカモメはオオバン、ヒドリガモ、ハシビロガモと一緒に波に乗りながら餌をとっていた。花見川河口にある下水処理場からの排出水で湧き上がるプランクトンや藻類を食べているようだった。カモたちの総数は80羽くらいだった。
サザンカが真っ盛り
日一日と寒さが厳しくなってきた今日このごろだ。冬を代表する花でもあるサザンカは、自分の季節がやってきたとばかりに満開である。仕事に追われ、生活に追われていると、周りを見渡す余裕がなくなる。花を見ると心が和み、優しい気持ちにしてくれる。四季折々の花が身近にある生活は、心に余裕を持つという精神面からも、とても必要なことだと思う。