和やかだった孝江の還暦祝い

 

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孝江の還暦の祝い

 

 妹の孝江が7月で満60歳を迎え家族で還暦の祝いを開くことになった。幹事は孝江の3人の息子たちであった。当初、還暦の祝いは春に新潟県寺泊温泉で企画されたが、長男一騎の満1歳の娘の体調不良により大事をとって延期されたものが11月中旬に群馬県水上温泉に場所を移して実施された。

 

 当日の還暦祝いの会場である水上館への集合時間は15時となった。参加者14人のうち12人は3兄弟の車に分乗し水上に向かい、私は妻とともに幕張から集合した。会場は大きな老舗ホテルだった。ホテルに到着早々、当然のことに風呂に飛び込んだ。利根川の流れを見下ろしながらゆったりと入る風呂は気持ちいいものだ。槇の大樽露天風呂や水晶風呂が到着した昼間の男性用風呂であり、その夜かimg153らは隣の牧水の湯が女性用から男性用に交換された。水上温泉源泉は利根川を挟んで対岸に位置し、そこからパイプによって引かれてくる無色透明の掛け流しの天然温泉である。なかなかいい感じの湯だった。

 

 18時より始まった夕食を兼ねた2時間の宴会は個室に準備され、まず一騎が挨拶し2歳の奏が幼いながら可愛い声で乾杯と発した。金屏風を背に中央に孝江が座り、その両脇に夫の実とお袋が座った。その隣に60歳の時に還暦の祝いをしなかった久芳のためのサプライズで赤いチャンチャンコと帽子が用意され、今回の孝江との合同還暦祝いとして着席した。このサプライズ演出も3兄弟が企画したものだった。和やかな雰囲気の中でビールや日本酒の熱燗の本数が増えた。子ども達はテーブルの周りを走り回り、一番小さい和はまだ歩けないので芋虫のように畳の上を這い回った。

 

 やがて宴も深まりプレゼント贈呈となった。私が最初に取り出したのは孝江の成人式の記念写真である。今から40年前の写真になるが3人の息子や夫である実も見ていない幻の写真である。カラー写真がまだ一般化されておらず当時の時代を反映したように白黒写真である。この写真が幕張の自宅を整理していた時に偶然見つかり、密かに孝江の還暦の祝いの時に参加者を驚かせてやろうと思っていたものだった。写真をスキャナーし「寿」の台紙に貼り込み、出席者に渡したのだ。受け取った方はみな一様にビックリ。3人の息子たちに、君たちのお母さんは女優のように美人だったのだ、という意味を込めてのいいサプライズだったと思った。

 

次に私は孝江夫婦に陶芸教室で焼き上げたペアのマグカップをメッセージとともに贈り、久芳には片口とぐい呑みの酒器セットを贈った。妻の彰子も孝江と久芳にプレゼントを贈り、愛と大はお祝いと感謝を込めたメッセージを贈った。二人が書いたメッセージを彰子が代読したが、読みながら感激し声を詰まらせ涙を流しながらの代読だった。聞いていた孝江も久芳も目に涙をにじませて聞き入っていた。

 

 夫の実から妻である孝江に対して心のこもった感謝状が贈られ還暦の祝いはお開きにな005-1った。そのあとは一番広い私たちの部屋に場所を移して2次会となった。以前ならばカラオケの場面もあったろうが、2歳・1歳・0歳の幼い子ども達が3人いるのでカラオケはせず部屋での飲み会となった。またこれもいいものだ。飲む酒は日本酒やワインが持ち込まれていたが私が持参した焼酎で始まった。持ち込んだ焼酎は、大が8月の試合は引き分けに終わったのだが興行主の戸高さんから勝利者賞として頂いた「甕雫」というものだった。私はその焼酎を普段から影に日向に大を応援してくれる家族とともに味わいたいと思い、今回の還暦祝いの会に持ち込んだものだった。女性陣はアルコール度の低いリキュール類やお茶を飲んでいた。

 

 この2次会で私は夏に出かけたパキスタンの山旅で買ってきたお土産を一人ひとりに渡していった。フンザ刺繍の財布と小物入れ、絹のネッカチーフ、木彫りの置物、晴れ舞台に身につける装飾品などだった。22時の2次会のお開きまで家族水入らずで四方山ばなしに花が咲いた。楽しいひとときだった。翌日は9時半にホテルのロビーで解散となったが、今後、2年後にお袋の米寿のお祝い、3年後に実の還暦のお祝い、4年後に彰子の還暦のお祝いと続き、その間に拓也・愛・大の結婚式が行われるかもしれない。私が還暦祝いをしたのは4年前だが、それからの4年間で家族が3人増えた。今後も増えた子ども達の成長を見守りながら家族仲良く過ごしていけたらと思っている。

 

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