小さな殻の舟に乗ってやってきた恵比寿さま
秋の連休の一日、神田明神を訪ねてみました。神田明神は正式名を『神田神社』といい、JR秋葉原駅から歩いて10分ほどの坂上に朱塗りの総檜造りの髄神門がある立派な神社です。東京の中心地、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場、築地魚市場、等々、108町会の総氏神様であり、毎年、5月中旬に各町内会の約50基の神輿が繰り出し賑やかな神田祭りで知られています。
神田明神の歴史は社伝によれば、奈良時代の天平2年(720年)出雲氏族によって創建され1300年の歴史を持つといわれています。徳川家康が天下分け目の関ヶ原の戦いに出陣するに当たり戦勝を祈願した神社としても知られ、その後、社殿も幕府により建てられ江戸時代を通じて保護され、江戸の総鎮守として庶民にも親しまれてきた神社です。社殿は関東大震災により焼失してしまいましたが、すぐに当時としては画期的な鉄筋コンクリート、総朱漆塗の社殿が再建され、今に続いています。
神田神社の祭神は3人います。一の宮が大黒様(大己貴命:おおなむちのみこと)、二の宮が恵比寿様(少彦名命:すくなひこなのみこと)、三の宮が将門様(平将門:たいらのまさかど)です。髄神門をくぐった左に石造りの大黒様が立てられています。日本に数ある大黒様の中で石造りとしては最大のもので、高さが6.6m、重さは30トンあるとのことです。大黒様は、大きな袋を肩にかけ片手に小槌を掲げた見慣れた像として立っています。その隣に立っているのが写真の恵比寿様です。通常、私たちが見慣れている恵比寿様は大きな鯛を小脇に抱え、釣竿を担いだものですが、神田明神の恵比寿様は全く違う形をしています。一度見たら忘れられない恵比寿様だと思います。その像は金色に輝き、小さな木の実の殻の舟に乗って波の中に漂い、両掌を掲げ、タイやヒラメ、イルカやカメ、フグやトビウオの海の仲間たちと一緒にやってきて、大きな大黒様と小さな恵比寿様が協力して日本の国を作ったという物語から造られました。作者は東京藝術大学の宮田亮平学長です。宮田学長は、愛の藝大入学式の時に挨拶を聞き、藝大祭の時には学生と話している姿を見かけましたが、とても気さくな感じの人です。作成された恵比寿様を見ていると既成概念にとらわれない芸術家としての発想のユニークさを感じます。
私たちが神田明神を訪れた日は日取りも良かったのか、境内にある結婚式場『明神会館』で結婚披露宴が7組予定されていました。日本雅楽の笙や縦笛、横笛の調べとともに神主や巫女の先導で新郎新婦と親族は静々と赤い絨毯を踏んで本殿に入り結婚式を挙げ、本殿前で記念写真を撮る姿が見られます。結婚式はいつみてもいいものです。若い二人がお互いを信じ歩き出していく記念日です。希望や未来が明るく輝いています。
11月の日曜日ということもあって七五三のお祝いをする子ども連れの家族も沢山お参りしていました。千歳飴の袋を下げ、着飾った娘や息子を写真に収めるお父さんやお母さんは幸せそうでした。思い出せば10数年前の私たち家族も同じように、愛や大や群馬のおじいちゃんやおばあちゃんと一緒に船橋大神宮にお参りし、記念写真を撮って子どもたちが健康に育つように七五三をお祝いしたことでした。その娘や息子は成長し親元を離れ、自分の目標に向かって突っ走っています。時は流れ歴史は螺旋階段のように進みながら繰り返します。私は、神札授与所の鳳凰殿で縁起のお守りである「勝守」を買い求めました。今、家に飾ってあります。