30年ぶりの金沢逍遥

 

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兼六園・琴柱灯籠

 

NHK大河ドラマで『利家とまつ』が唐沢寿明と松嶋菜々子の主演で放映されたのは今から6年前の2002年であった。今回、白山に登るために金沢を30年ぶりに訪れ、利家とまつを中心とする加賀百万石の歴史散歩に登山前日の半日を当てた。

 幕張の家を6時半に出て上越新幹線を越後湯沢で北陸鉄道線の特急に乗換え金沢に到着したのは11時である。自宅から5時間の旅であった。越後湯沢から乗換えた北陸鉄道沿線は越後の山々を遠望しながら緑の絨毯が拡がる田園地帯を日本海に向けて突っ切っていく。とても気持ちが良い。8月下旬の旅で見る田園の稲穂はまだ実ってはおらず青い。

 金沢駅は立派なガラス張りの駅に変身し、まるで北京オリンピックのメインスタジアムの「鳥の巣」のような外観であった。正面から見ると鼓をデザイン化した大きな柱が屋根を支えている。近い将来、新潟から新幹線が延びてくるといい工事も進んでいる。着々と北陸の中心都市は動き始めている。私は金沢駅に到着すると駅構内の観光案内所に向かい市内観光地図をもらった。その地図でこれから散策するエリアの概略位置を確認し、まず兼六園に向かった。駅前からバスで10分も乗車したろうか。真弓坂口で入園料300円を払い園内案内図からルートを確認し、次に見学しようと思う金沢城に近い蓮池門口まで右回りで園内を一周することにした。

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兼六園・七福神


 兼六園を訪れるのは2回目である。前回訪れたのは30年ほど前に越前の日本海側の古墳を廻り、永平寺を訪れた後に金沢の兼六園を訪れたように記憶している。当時、私は日本全国に残る古墳を廻りながら「日本古代国家」がどのように形成されて行ったのかを考える旅をしていたのだった。

 兼六園は江戸幕藩体制が安定期を迎えた4代将軍家綱の時代に加賀5代藩主前田綱紀によって築庭が始まり、170年の年月を費やし江戸後期の12代将軍家慶の時代にようやく回遊式池泉庭園として完成したもので、水戸の偕楽園、岡山の後楽園とともに日本の三名園と称されている。気の長い話であるが時代の流れがのんびりしていたのであろう。1882年に建設が始まり現代でも継続されているスペインのガウディ作のサグラダ・ファミリア教会のようでもある。ちなみに日本庭園は、大きくふたつの様式に分かれ、ひとつは水をたたえる池を中心にした「池泉庭園」。もうひとつは水を用いず白砂や石で表現した「枯山水庭園」。そのふたつの庭園を歩いて巡る「回遊式」と建物から眺める「観賞式」との組合せで都合4種類の日本庭園がある。兼六園は水をたたえ散歩ができる「回遊式池泉庭園」というわけである。

 兼六園という名称は、宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六勝を兼ね備えるという意味から命名されたという。名前一つをとっても昔の人は多くの語彙を使い精神的な豊かさを感じる。兼六園は、桜、杜若、紅葉、雪吊りと四季折々の美しさが楽しめるというが、私が訪れたのは前回も今回も夏の終わりであり、緑の松と芝生のあまり代わり映えしない景色であったが、松・水・池・橋・芝・築山の形を観ただけで凄いものだ、という感じは素直に受ける。兼六園を代表する風景である霞ヶ池をバックに立つ琴柱灯篭ひとつとっても洗練された造園だと思う。

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江戸町通り


 ほぼ一周したら12時近くになり小腹も空いてきた頃、丁度いい具合に赤毛氈を引いた茶店『兼六亭』が目に入った。早速、縁台に上がり込み、清酒、ざるそば、胡桃の佃煮とゴリの佃煮をつまみに昼食にした。小雨模様の中を観光客が行き交うのを眺めながら昼間から一杯やるのもいいものである。静かな雨の中を眼前で噴き上げている噴水を眺めていると心が静かに落ち着いていく。自然の緑は人間の心を和ませるものだが、公園のように造られた緑であっても人間は精神の安定・和らいだ気持ちになれることを実感する。

 小一時間ほど『兼六亭』で過ごした後、金沢城に向かうために蓮池門口を出て右折すると食事処やお土産屋が軒を連ねている通称「江戸町通り」と呼ばれている茶店通りに出た。なかなか風情ある佇まいである。そのお土産屋の一軒に立ち寄り九谷焼のぐいのみを3個買った。2つは私のもの。ひとつは妻へのお土産である。その通りの左前方に金沢城の石川門が見える。

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再建された金沢城の「菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓」


 加賀初代藩主・前田利家は1583年(天正11年)金沢に入城し金沢の礎を築いた。今さら言うまでもなく前田利家は戦国武将として、織田信長、柴田勝家、豊臣秀吉、徳川家康にそれぞれ仕え、最終的には加賀百万石を築いた男である。前田利家は典型的な風見鶏でもあった。下克上の戦国の世にあって戦いに次ぐ戦いの中で生きながらえたことは運を味方にしたこともあろうが、家臣団を一つにまとめあげるカリスマ性や突出した行動力は戦場にあって最も危険な伝達役である赤母衣衆や数々の首級を挙げたことに表れている。実に度胸の据わった人間であったろう。平和な現代の意識によって戦国に生きた武将を「風見鶏=優柔不断な日和見主義者」と侮蔑することは出来ないが、当時、時代の風に敏感であればあるほど生き抜くのが難しかったのが戦国武将の生き方であり「風見鶏」としての選択だったのだろうと思う。選択を一歩間違えば一族郎党の死が待っていたのである。しかし、結局のところ「利家とまつ」の夫婦仲が良かった結果が加賀百万石を生んだのだろうと思う。

 2001年、金沢城公園の新しいシンボルとして菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓が復元完成した。現存する石川門や三十間長屋と同様、鉛瓦や海鼠塀が外観の特徴であり、明治以降に建てられた木造城郭建築物としては全国最大規模であるという。私は300円を払って中に入ってみた。驚いた。3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないであり、これらの建物の復元に当たった築城当時の建築技法が再現され展示されていたがよく考えたものだと感心した。凄い技術だ。法隆寺から延々とつながる日本が世界に誇れる木工建築技術だと思う。一度見ればその凄さが実感できると思う。「百聞は一見に如かず」である。

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五十間長屋内部


 金沢城の石川門を出て左折し坂を下っていくと白鳥通りにでる。緑に囲まれた静かな歩道だ。歩道の両側にブロンズ像が沢山建てられている。勿論、金沢が生んだ明治時代の作家が中央に位置しているが、その3人よりも心が引かれるのは母子であり少女であり逞しい若者の像だ。それらの像には生命の輝きが現われているからだろう。さらに観光地図に導かれながら進んで行くとひっそりとした尾崎神社に出た。尾崎神社は真っ赤な三門と拝殿。金色に輝く「三葉葵」の紋所が入った観音開きの扉が目がとまった。あまり広くない境内は平日の午後のせいか参拝客も私のほかに見当たらず静かである。更に歩を進めると尾山神社の裏門に当たる東門にでた。裏門には2頭の竜の彫り物が掲げられてあった。火災で金沢城が炎上したとき東門に移された門は2頭の竜が水を呼び燃えなかったという言い伝えが今に残っているという。見事な彫り物である。

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尾山神社正門


 尾山神社は藩祖前田利家を始めとし代々の前田家藩主が祀られている。勿論、利家の銅像や「まつ」の石像も境内に立てられている。利家の像は馬に跨り赤母衣衆の幌を背中に着けたもので初めて見る姿だった。「まつ」の石像は自然石に絵画を浮かび上がらせたものでやや平面的だ。二人の像の後ろ側にサイフォンの原理を使った噴水が静かに噴き上げており、その脇を錦鯉がゆったりと泳いでいた。私は裏門である東門から境内に入って行ったが、バス道路に面した表門は明治になってから建てられたものでガラスを嵌め込んだ煉瓦造りの門で神社という視点から考えれば奇妙な形をしている。小学生と思われる娘と母が記念写真を撮り合っていた。先ほど拝殿の前で手を合わせ何かを祈っていた姿が目に浮かぶ。私は家族の健康を願ったが果たしてあの仲の良い母子は何を祈ったのであろうか。

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尾山神社内の赤母衣衆姿の前田利家像                    尾山神社内の「まつ」の像


 時間も大分経過したので駅前に予約したホテルに戻ることにして地図を頼りに歩きだした。途中で思いがけなく改装中の市場が目に入った。近江町市場である。近江町市場は平屋から高層ビルに改修工事中で来年3月に完成するという。工事中ではあったが市場の賑やかさを体験するため、かまわず中に入っていった。この市場も他の市場にたがわず活気ある賑わいである。私はどの街を訪れても時間が許せば必ず市場を覗いてみる。特に魚市場がいい。旅人ゆえに残念ながら魚介類を買うことは出来ないが、どういう珍しい地魚が売られているのか見学することが私にとって楽しい時間となる。ひとまわりし夕食時には再び訪れようと思い市場を後にした。

ホテルで一休みし再び夕食時に近江町市場を訪れ『さしみや』という食事処に入った。馴染みらしい先客が一人おり板前さんと世間話をしていた。私はホテルでシャワーを浴びてきたばかりだったので生ビールを頼み一気に喉で味わった。最高の美味さである。地酒の冷酒を二合と刺身の盛合わせを頼んだ。板前さんに尋ねると店は隣の市場の直系とのことで、出されたものはさすがに新鮮で脂の乗った刺身である。品書きに万十貝という見慣れない貝の名前を見つけたので刺身に出来るか否かを確認し出来るというので刺身にしてもらった。コリコリした感触のミル貝に似た味であった。岩牡蠣を頼んだが夏も終わりに近づいた8月下旬になると保健所からの注意が厳しく店では出せなくなっているとのこと。理由を尋ねると貝の産卵期が近づき貝自身が毒を持ち、度々食中毒を起こすためとのことである。市場ではまだ岩牡蠣をその場で剥いて食べさせてくれるので良かったらどうぞ、とのことだった。美味い地酒と刺身を食べ、ほろ酔い加減でホテルへ引き返したのであった。

 

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