神倉神社に参拝して

 

神倉神社のご神体「ゴトビキ岩」の前で

 

日本各地には山全体や大岩、大滝などの自然物を御神体とした自然宗教の名残の神社が沢山ある。神倉神社もそのひとつであり、巨岩崇拝信仰が原点である。神倉神社は熊野灘を見下ろす神倉山中腹にあり、御神体は高さ10m、周囲23mの巨岩「ゴトビキ岩」である。「ゴトビキ」とは熊野地方の方言でヒキガエルのことであり、岩の形からそう呼ばれるようになった、という。熊野三山(速玉・那智・本宮)に祀られている神々が最初に降り立ったとされているのがゴトビキ岩であり、この地こそが熊野三山の根本霊所である。

 

神社が設置されている場所は神倉山の標高80mほどの高さなのだが、下の鳥居から神社まで急勾配の石段が続いている。源頼朝が寄進したと言われている立派な石段は538段もあり登るのに一苦労であった。例祭は毎年26日の夜に行われ、勇壮な火祭りとして有名である。御灯祭りと言われている特殊神事として名高く、白装束姿の約2000名の男衆が御神火を受けた松明を手に手に持ち、急傾斜の石段を全速力で駆け下るのである。私は石段を上りながら、この傾斜を全速力で走り降りて、よく怪我をしないものだと感心せざるを得なかった。

 

私は急な石段を登って神倉神社の境内に16時頃に到着した。「ゴトビキ岩」の右側奥は祈りの場のようになっており注連縄のような祭壇が設けられていた。神社の境内は広くはないが南側が開けており新宮市街の向こうに熊野灘が遠望できた。境内には地元のボランティアで神倉神社について説明や質問を受ける60歳代と思われる男性がいた。私が新宮市街の景色を眺めていると男性ボランティアが近づいてきて神社の説明をしてくれた、と同時にカメラのシャッターを押してくれた。親切な方だと思った。この方も夕方になり観光客の姿もいなくなってきたので私と一緒に石段を下り自宅へと帰っていった。

 

熊野速玉大社

 

神倉神社のすぐそばに熊野三山のひとつである熊野速玉大社が祀られているが、速玉大社が「新宮」と呼ばれているのは、元となった神倉神社があってこその「新宮」なのである。現在では速玉大社のほうが主となり、神倉神社は速玉大社の摂社となっている。神倉神社の御祭神の高倉下命は農業漁業の守護神として名高い。

 

幕張の自宅には新宮駅前から夜行高速バスに乗って帰ってきたのだが、バスの待ち時間に駅前の居酒屋で夕食を兼ねて鯨の刺身などを肴に一杯やっていると地元の若者2人が隣の席に座った。世間話から話すともなく話し始めたが、若者は新宮市には目玉となる観光施設がなく若者の仕事もない、と嘆いていた。私は熊野速玉大社よりも古い起源をもつ熊野三山の生みの親である神倉神社こそを大々的に宣伝すべきで、御神体のゴトビキ岩や急な石段は強烈なインパクトを持っており、各旅行会社の熊野三山ツアー企画の一角に入れ込むような行動を起こすべきではないかと話した。若者は神倉神社は熊野三山に比べると神社も地味だし・・・という反応であった。もっとも老人には急な石段は這って上り下りするような状況になるかもしれないのだが、私は観光としてのインパクト性は十分にあると思っている。

 

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