母娘の讃岐ふたり旅
金毘羅さんで「ハイ・チーズ」
8月16日〜19日までの3泊4日で四国の香川県内の美術館巡りに娘の愛と一緒に母娘旅行に出かけました。日にちを言うだけで、旅慣れている夫が行き帰りの新幹線や特急の指定席、香川県内の美術館情報や時間が余ったときの観光名所、宿泊ホテル予約、等々インターネットで予約し旅行の資料を作ってくれました。その資料を基に私が日にちごとの大まかなスケジュールを作りながらイメージトレーニングを行いました。
8月16日 晴れ
初日は金毘羅さん(琴平神社)に行きました。
丁度、お昼の時間に琴平駅に着きましたのでまずは腹ごしらえに『山田うどん道場』に入って讃岐うどんを食べました。店の中は大勢の人で賑やかです。うどん玉を注文した後にトッピングで自分の好きな物を取っていきます。珍しいものに「タコ焼の天ぷら」がありました。私は野菜の天ぷらをトッピングしました。とても美味しいうどんでした。帰りにもう一度寄って食べていこうと思ったほどです。結局は暑さにバテ気味で帰りはアイスクリームになってしまいました。
さあ、お腹は十分なので金毘羅さんの石段を登っていきました。これがイヤハヤなんともの石段です、長いのです。連日35度を超える猛暑の中での石段登りですから金毘羅さんの拝殿に着いたときは本当にホッとしました。奥社への石段は拝殿の脇から延びていますが私は登るのを止めました。もう十分です。
金毘羅さんをお参りした後は最初の予定では栗林公園に行く予定でしたが、愛が電車の中のチラシからフィギアの海洋堂の展示が高松市美術館で開催されていることを知り、是非、海洋堂のフィギア展を見たいということになり、予定を変更して高松市美術館に向かいました。こういうところがツアー旅行でなくオリジナル旅行にいいところです。
私はフィギア展というのを初めて見ましたが精巧に出来ている人形に驚きの連続でした。アキバのメイドカフェのモエーもありました。パンツが丸見えの短いスカートをはいたバストがはちきれそうな人形もあります。こういうのを集めているオタクもいるのだろうなぁと改めてビックリしました。
8月17日 晴れ
2日目は島全体が美術館になっている直島に行きました。
初日の疲れもあったのかグッスリ眠ってしまい、8時30分の船ではなく10時の船で出かけました。これがゆくゆく失敗のもとになったのです。直島では「地中美術館」「ベネッセ美術館」「家プロジェクト」の3ヶ所の美術館に廻る予定でした。港からバスに乗り地中美術館で下車するときに見物者が多いので入場規制の整理券を配っていました。それをもらうのが遅かったために地中美術館見学グループは2番目になってしまい、ここでも30分の時間のロスでした。
地中美術館の名前が示すように地下3階までの地中の美術館にはモネの「睡蓮」が展示されていました。私はウォルター・デ・マリアの「タイム/タイムレス/ノー・タイムという」階段の踊り場に大きな黒い球が置かれている作品が印象に残りました。ジェームス・タレルの「アフラム、ベール・ブルー」という青く輝く空間も見事なものでした。美術館の外に出ると瀬戸内海の真っ青な海の中に細長い島影や小さな小島が浮かんでおり素晴らしい景色に暫くのあいだ見とれていました。
この地中美術館から次のベネッセ美術館までの道の途中に様々な作品が展示されています。娘の愛はバスではなく歩きながら展示物を見て行きたいというので私も一緒に炎天下の道を歩いて行きました。歩いた時間は1時間くらいでした。
カボチャのモニュメント
ベネッセ美術館(ベネッセアート)は「ベネッセアートサイト直島」と言われている香川県直島を舞台に展開されているアート活動の中心施設です。「ベネッセハウス」は、宿泊施設を併設した現代美術館です。夫が旅行の2ヶ月前に宿泊予約状況確認したときには夏休みのせいか既に予約満室の状況でした。ベネッセハウスに泊まることが出来たら直島の全体を見ることができ十分満足いけると思いました。ベネッセ美術館の野外展示場は実にユニークな作品が展示されています。大きなカボチャ、さまざまな動物をモチーフにした遊具、ベンチで新聞を読む人間を形どった作品、等々・・見ているものを楽しくさせてくれます。
直島の古い家並みが残る東側の本村地区に、古民家などを改修し、アーティストが家の空間そのものを作品化した「家プロジェクト」があります。今回は時間の関係で3つ目の「家プロジェクト」に廻る時間がなくなり残念でしたが諦めて高松に戻りました。帰りのバスから家プロジェクトを見ましたが大勢の人が入館を待って並んでいました。すごい人気だなぁと改めて思いました。
8月18日 晴れ
3日目はイサム・ノグチ美術館に出かけました。
この美術館もとても人気があり見学に際しては予め往復はがきで問合せ、OKが出た日の指定された時間に行かないと見学が出来ません。私たち2人は希望通りの時間で見学することが出来ました。私は最初、美術館の名前がなぜ名前と苗字が反対に表示されているのだろうと不思議でしたが、愛が「ノグチさんはハーフなの。外国で生活していた期間が長かったの」と説明してくれました。
美術館のパンフレットには「20世紀を代表する彫刻家イサム・ノグチは、モニュュメント、庭や公園などの環境設計、家具や照明のインテリアから、舞台美術までの幅広い活動を行った、きわめてユニークな芸術家です。イサム・ノグチ庭園美術館は、この地が未来の芸術家や研究者、そして広く芸術愛好家のためのインスピレーションの源泉になることを強く望んでいたノグチの遺志を実現したものです。ノグチさんは、従来の彫刻家という枠組みを超えた存在であり、環境や建築、あるいは「空間」との、より大きな関係を模索した「スペース・デザイナー」とでもいった、きわめてユニークな芸術家だ、」と紹介されています。
愛も美術家の卵として空間デザイナーを目指していますから「イサム・ノグチ庭園美術館」を見学するのを心待ちしていました。私たちの見学は午前10時からのスタートで20人ほどのグループが2つありました。それぞれのグループに美術館員がついて作品の説明をしてくれます。作品は石の創作物です。完成品はイサム・ノグチの署名が彫られているとの説明を受けてから注意深く作品を見て廻りましたが、沢山ある作品の中から3こ署名を見つけました。ノグチさんの作品は未完成のものが数多くあるとのことでした。
野外展示場で一段と高くなっている場所がありましたので行ってみると、瀬戸内海の青い海の向こうに沢山の島々が望め実に景色の良いところでした。直島でも感じましたが瀬戸内海って綺麗だなぁと思いました。千葉の海とは風景自体が違うなぁと感動しました。
イサム・ノグチ美術館の見学を終えて高松に戻り高速艇で小豆島に向かいました。壺井栄の「二十四の瞳」の映画村と記念碑を見たいと思ったからです。港に着きバスの時間を確認すると1日に数えるほどの本数しか走っていないので40分待ちです。しかたないのでタクシーが止まっていましたから、それに乗って映画村に行きました。タクシーの運転手さんは映画村に行く途中でも地元の話題を話してくれたり、親切に受付で手荷物預かりの面倒を見てくれたりしました。
大石先生と子どもたち(二十四の瞳の群像)
映画村のなかには映画が作られた当時のセットが残されていました。日本全国を見渡しても、もう殆ど残っていない小さな木造の校舎と教室、私が通った中川小学校も木造だったなぁと40年前のことを思い浮かべました。校庭に先生と子どもたちが遊んでいるブロンズ像が立っていました。昔「二十四の瞳」の小説を読んだことがありますが、若い女の先生と島の子どもたちの心の温まる交流を描いたものでした。温かい環境からは優しい心を持った人間が成長すると思います。日頃の保育所生活でも感じますが環境によって人間はずいぶん変わってきますので子ども達を周りで見守る温かい目が子供たちを伸び伸び成長させるものと改めて感じました。
映画村では愛がまだまだ見たいところがあると言っていましたが、ホテルに帰るバスを直通バスにした関係で午後4時に出て、珍しいオリーブとしょうゆのソフトクリームを食べました。これが又おいしいのです。ホテルまでの1時間ほどをバスにユッタリ揺られながら綺麗な島影と青い海と海岸線を眺めていました。こういうユッタリした時間に心が洗われます。
ビックリしたのはホテルの夕食でした。
夫が女性専用のプチ・イタリアンというのを頼んでおいてくれたので、丁度いいかな思っていたのですが、次々にプチではなく普通の量が出てきます。最初のカルパッチョやオマール海老や魚介類のサラダは良かったのですが、プチと思いパンを2個も食べたのが間違いのもとで、ナポリタン、ステーキと続く頃にはお腹がパンパンになってしまい、好きなケーキも目だけで食べてギブアップでした。娘は、「今日、私はフードファイターになるんだ」と言いながら出てくる料理を次々に食べていきます。若いっていうことはいいものだなぁと変なところで感心してしまいました。料理はとっても美味しかったです。
私も一緒に
8月19日 晴れ
最終日の4日目にとんでもないアクシデントが待っていました。
土讃線の踏切でトレーラーが快速列車にぶつかり事故処理の関係で土讃線は前面運休となったのです。
ビックリです。アクシデントが発生した時はいつも夫が処理してくれていましたが、今回はない頭を振り絞って岡山駅まで行くにはどうしたらよいか考えました。土讃線の復旧は全くメドがたちませんでした。その結果、岡山からの新幹線に乗るために高松から船で宇野に出て、そこから電車に乗り継いで岡山に着きました。当然のこと予約を取っていた新幹線「のぞみ号」には乗車できず、指定席券の変更を依頼しましたが日曜日の上りとあって17時まで満席で空きがなく、仕方なしに自由席で座れるまで岡山始発の新幹線に乗るために1時間をホームで待ちました。私たち二人がやっと座れた時は岡山駅なのに車内で立っている人がいました。踏切事故では運転手の方は亡くなってしまったとニュースで知りましたが、お気の毒とは思いますが乗客にとっては迷惑そのものでした。我が家に着いたのは予定より2時間遅れた夜の8時過ぎでした。それでも夫が私のリクエストの濃い目のカレーを作っておいてくれ、餃子の卵スープ、刺身、冷奴、浅漬け、冷やしトマトで久しぶりに家庭の夕食を食べました。旅行最終日にとんだアクシデントに見舞われましたが娘がもの心ついてから母娘だけで旅行に出かけるのは初めてでしたから今回の香川旅行は私にとって思い出の旅行となりました。