パイユキャンプの夜は更けて
踊る料理長のディダ・アリと歌うポーターたち
パイユは大きなキャンプ地である。アスコーレから出発し、ジョラ、スカムツォク、と宿泊してきて3か所目のキャンプ地だ。緑の木々が多く水道設備やトイレも整備された明るいキャンプ地である。このキャンプ地でポーターの休憩を含めて2連泊するのが昔からキャラバンにスケジュール化されているようだ。パイユで2連泊する1泊目はポーターたちの息抜きの意味もあり歌合戦となる。すでに前日からポーターたちは歌合戦に備えて準備をしていた。
私たちも歌合戦に参加することにして昼食後に打合せを行った。歌う曲は「上を向いて歩こう」「365歩のマーチ」「月月火水木金金の替歌」「エイトマンのテーマ」の4曲。出しものは日本文化を代表して「相撲」の取り組みを2番とした。トレッキングに参加したメンバーの中に相撲に詳しい方がいて、呼び出し、行司、塩まき、力士の仕切、取り組み、一連の流れを事前に打ち合わせる。
エイトマンのテーマを熱唱
夕食後に私たちのキッチンテントの脇の広場で車座になったポーターたちの歌合戦が始まる。手拍子とともに空いた樽や燃料缶が即席の太鼓となり打ち鳴らされリズムを刻む。彼らが歌うメロディーは手拍子が合う昭和の歌のように感じられる。彼らが歌う曲には自作の歌も含まれていた。68歳の長老が歌ったものは自分の体験を歌ったもので、昔、好きだった女性と訳があり結婚できなかった悲恋を物悲しく歌った。今は想い出の中にある遠い昔の彼女の歌を何回歌ったのだろうか。曲に合わせて若者も手拍子で参加している。歌に合わせて車座の中で2〜3人が踊りだす。踊りには基本パターンがあるようだが結構自由なので私たちが飛び入りで踊っても大丈夫であった。当然私も輪の中に入って踊った。しかし標高3500mもあるので普段から踊っているポーターたちと違って、激しく踊るとすぐに息切れしてしまう。「エイトマンのテーマ」をパホーマンス入りで激しく歌った時はポーターたちには大受けだったが歌い終わったあとが息切れ、料理スタッフのサキが心配してくれて水をもってきてくれた。サキの優しさがありがたかった。
アミ―ンと堤の対戦は思わぬ結果に・・・
私たちは出しものとして相撲を2番とった。それをウルドゥ語でポーター仲間に紹介したのは料理長のディダ・アリで「われわれの多くは日本という国に行くことはできないが、日本からこられたみなさんが日本文化の一つである相撲を見せてくれます」の前置きから相撲の簡単なルールを話した。ディダはスタイル抜群で32歳の二枚目で料理が上手い。19歳の時に結婚し既に11歳の子どもがおり、持ち家もあり野菜畑と3頭のヤギを飼っているとのことで頭の回転の速いリーダーシップ抜群の好漢だ。ディダ・アリが毎回毎回美味い料理を作ってくれたことが元気にトレッキングを完了出来たことにつながっていると思う。
相撲の呼び出しは林さん、行司は藤田さん、1番目の取り組みは、私の四股名が「アマ」、医者のマロの四股名が「タイホウ」ということにして、がっぷり四つに組んでお互いに押し合ったあとに土俵中央でタイホウの上手投げでアマが激しく投げ飛ばされる取り組みだった。ポーターたちに大受けだったが、私は思いっきり転がり後頭部をしたたか地面に打ちつけてしまい暫く頭が痺れていた。
2番目の取り組みは、堤さんの四股名が「カイオウ」、ガイドのアミ―ンの四股名が「ハクホウ」、この一番は両者若いだけあって力が入り過ぎ、ハクホウのスリップの上にカイオウが覆いかぶさった際にハクホウが右足首を捻挫してしまい、とんだハプニングの発生だった。翌日からトレッキングガイドのアミ―ンは歩くことが出来ず馬でコンコルディアを目指すことになってしまった。いやはやなんともの結果となったがポーターたちは大喜びだった。私たちとポーターたちの歌合戦は22時まで続いた。