『十一月の色展』を観に行った
『浄瑠璃物語絵巻』11巻の別れの場面
11月14日 火曜日 晴れ
コロナ禍の前まで幕張水墨画同好会で一緒に勉強していた笠原さんから、千葉市美術館で千葉美アートカルチャースクールの生徒たちの絵画展覧会『十一月の色展』のチラシが手紙を添えて送られてきた。展覧会の会期は11月14日〜19日となっていたので、初日の14日の午前中に出かけた。
千葉市美術館に着いた
千葉市美術館に着き、9階の市民ギャラリー第2室、第3室に向かった。市民ギャラリーに入っていくと受付席に笠原さんがいた。久しぶりの再会だった。笠原さんは同好会を退会したあと、千葉美アートカルチャースクール津田沼校に月に1回通いながら絵の勉強を続けているという。
市民ギャラリー第2室の入口
今回、笠原さんが出品した絵は『浄瑠璃物語絵巻』全12巻のなかの第11巻の一場面を模写したものだった。『浄瑠璃物語絵巻』は岩佐又兵衛(1578〜1650)という浮世絵の源流とも言われている絵師が江戸時代初期に描いた絵巻物で、内容は15歳の牛若丸(源義経)が、平家討伐の準備のため京都鞍馬山から平泉の藤原氏を頼って奥州へ下る途中で、三河矢矧で宿をとった際に長者の娘との恋愛物語を絵巻にしたもので、第11巻は死んでしまった牛若丸が浄瑠璃姫の涙を受けて生き返り、再会を約束して浄瑠璃姫と侍女を烏天狗に乗せて矢矧の館へと送る別れの場面を模写したものだった。
青色の烏天狗に乗った浄瑠璃姫
青色の烏天狗に浄瑠璃姫が乗り、赤色の烏天狗に侍女が乗り、黒雲渦巻く天空に舞い上がるのを牛若丸が手を振りながら見送る別れの場面である。受付にいた笠原さんが絵の前に来てくれていろいろ説明をしてくれた。『浄瑠璃物語絵巻』は静岡県熱海市にあるMOA美術館が所蔵しており、今年の春に全12巻の展示をした際に現物の絵巻を観るためにMOA美術館に足を運んだという。実際に眼にした絵巻は金・銀・青・赤、緑、実に煌びやかな絵巻だったという。写真が自由に撮れたので、その時の写真をスマホで見せてくれたが、確かに色が鮮やかなことはスマホの画面からも一目瞭然だった。
赤色の烏天狗に乗った侍女
笠原さんは絵巻を模写する時に、戦いの場ではなく平和な場面を選ぶことにして場面を探すと、絵巻物は1巻が10mの長さがあり、それが12巻だと120mになる。販売されている画集には全ての場面は載っていないので、画集に載っているなかから第11巻の牛若丸と浄瑠璃姫の別れの場面を選んだという。画集から実際の絵巻物の大きさにコピーし、それを模写していったという。
浄瑠璃姫を見送る牛若丸
模写された作品は実に細密で、浄瑠璃姫や侍女の髪のほつれ、牛若丸の太刀の鞘の鱗模様は言うに及ばず、着物の文様、烏天狗の翼や爪、肌の色使いにまで神経を集中し、息をつめながら描いていったのだろうと思われた。完成までに約1年かかったという。今回展示されていた作品のなかでは1番の力作といってよいものだった。
感性豊かな小学生たちの作品
展示されている作品のなかに『未知の世界』といテーマで、津田沼校と千葉校の小学生たちの作品があった。丸い円板状のキャンバスに自由に絵を描いたもので、チーズの滑り台、パイナップルの家、空飛ぶ楽園、地球の外側、深海の謎の生物、石に顔がある世界、水中と陸の世界、秘密基地にいるクマ、昔の世界、お月見、海に沈む神社、謎の巨人、青の世界、海の裏側、レインボーな世界、時空のゆがみ、シーサーが見た海、猫の集団、熊と滝、虹の木などなど、子どもたちの心に浮かんだ空想の世界をイメージ豊かな絵として表していた。子どもたちの絵は見ていても楽しいものだ。
基礎となる鉛筆デッサン(左は輪郭線あり、右は輪郭線なし)
鉛筆デッサンも11作品が展示されていた。デッサンは絵の基本である。晩年は抽象画に移行したピカソが10代に描いた作品などは、まるで写真かと見間違えるほど写実的でデッサンのしっかりした油彩である。デッサンには作者の好き嫌いにより、輪郭線をぼやかして描く方法と、輪郭線をくっきり描く方法があり、今回の展示は両方があったので、見比べることにより表現方法の違いがよくわかる展示だった。私は輪郭線を描く方法をとっているが、輪郭線を描かないと絵がぼやけてしまうと感じるのである。
制作に根気のいる切り絵
展示されている作品のなかに切り絵も2枚あった。1枚は犬の顔を切り出したもので「HEAD」のタイトルが付けられ、もう1枚は「成田山 百日紅と龍智の池」というもので、非常に細かい葉っぱが切り出してあった。切り絵は黒の紙を切り出したあとに、色紙を切り抜いて黒紙の下に敷いていく。結構根気のいる作業が続くと思う。
淡泊な色調の水彩画「雪の朝」
水彩画の作品も展示されていた。展示されていたなかで「雪の朝」という作品が良かった。雪が降りやみ微かに青空がのぞく朝を迎えた川のほとりに建つ一軒家を描いたもので、音が全て吸収された静けさが伝わってくる作品だった。水彩は油彩と比べて淡泊なので、その淡泊さが静かな雪の朝にぴったり合っているように感じたのである。
日本画で目立ったのは「菊と静物」
日本画で目立ったのは「菊と静物」だった。質感が素晴らしかった。フクロウの置物、湯吞み茶碗ときびしょ、ガラスの花瓶に黄色い2輪の菊が挿されているのだが、焦げ茶色のなかの薄く浮かび上がるようなS時模様の背景も含めていい感じだと思った。2輪の菊の花も上手だが、特に陶器でできたフクロウの質感・量感が実に上手く表現されていると思った。
油彩では「津軽富士と鶴の舞橋」が良かった
油彩の作品では「津軽富士と鶴の舞橋」がいいと思った。後景に津軽富士=岩木山、前景に鶴の舞橋を描いたものだが、山は眺める方向で全く違う姿となる場合が多い。私は岩木山に3度登ったが、いずれもこの絵に描かれた五所川原側の反対側から登ったので、私が眼にした岩木山と絵に描かれた岩木山の姿は違っていた。雪が積もった岩木山は厳しくも堂々としており素晴らしいと思った。油絵の場合は絵がゴテゴテしているので、力強さは感じるものの私は好きではない。
子どもたちの自由な発想が素晴らしかった
絵画、音楽、映画、演劇などの文化的といわれるものは何の生産性もない、と思われやすいが、心・精神のリフレッシュ、心の成長、感性が磨かれることに大いに関係があると思う。山登りにしても何の生産性もないが同じようなものだろう。子どもたちの自由な発想も成長するにつれて型にはまった人間に慣らされていくのが今の日本の現状だろう。