精神性の豊かな時代だった縄文時代
多摩ニュータウンのビーナス 装飾深鉢
江戸東京博物館で『縄文2021 東京に生きた縄文人』という特別展が開かれているので妻と一緒に出かけた。展示内容は、プロローグ、第1章:東京の縄文遺跡発掘史、第2章:縄文時代の東京を考える、第3章:縄文人の暮らし、第4章:考古学の未来、エピローグ、という構成だった。
さまざまな土偶
私は20歳代から全国のあちこちを旅行しているが、出かけた所で時間があれば博物館や歴史資料館を訪れるようにしている。日本の考古学では、旧石器時代、新石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代と時代区分されているが、まだ文字が伝わっていない頃のことなので記録は残されていない。従って、遺跡から発掘された遺物によってのみ、当時の生活や文化を類推していくわけである。その場合、日本列島だけではなく、日本に影響を及ぼしたであろうとされる東アジア地域の遺跡や遺物との関連も同時に考えていく必要が重要となってくるのである。
装飾文様土器
今回の「東京に生きた縄文人」という展示会は、東京の各地で発掘された遺物そのものに焦点を当てたもので、日本列島内での文化の交流があった点までを解説していた。縄文土器が再評価されたのは、考古学者や歴史学者からではなく、芸術家の岡本太郎が装飾火炎土器の中に豊かな創造性と生命の燃焼・爆発を見出し、高らかに謳いあげたことが切っ掛けとなったのだが、今回展示されていた土器の装飾を見ても、決して実用だけから考えたら必要ないものだが、敢えて土器に装飾を着けるという精神性が豊かな文化の一端として現わされているのだろう。
発掘されたイヤリング
耳栓やイヤリングもたくさん展示されていた。耳栓もイヤリングも人間が着ける装飾品の一部であるが、現物を見ると細かい細工や文様が施されているのが分かり、一つひとつを作っていく当時の人たちの気持ちに思いをはせたのである。
石槍の数々
縄文時代の生命維持は狩猟と採取が主な活動であり、時代が下がると農耕栽培へ徐々に移行していくわけだが、動物を狩猟するための石槍や鏃もたくさん展示されていた。私が育った群馬の生家近くには縄文時代の遺跡が多く残されていた。当時は正式な遺跡名称は無かったが、関越道路長野線の高速道路建設に伴う遺跡発掘により『松井田八城遺跡』と名付けられたが、私が子どものころは、冬になり畑の農作物が収穫されて更地になったところを歩いて遺物を探したものだった。私は石斧と鏃を持っていたのである。
発掘された丸木舟
縄文時代は未だ階級社会が発生する前の時代のため、全ての人たちが平等であり対等であった。そのため競争する必要はなく、精神性の豊かな時代だったのである。現代から見ると、何もない社会のように見えるが、お互いを信用・信頼し、共同作業を進めながら安心して暮らせる社会だったといえるのである。