深大寺そばを食べに

 

深大寺元三大師堂前で

 

 約40年間購読していた毎日新聞を昨年末で止めた。理由は販売員が「契約、契約」としつこいのである。それまでは購買契約などは行っていなかったが、購買契約をしないと配達しない、などと言うものだから、購買自体を断ったのである。今年になって千葉県に住んでいるが東京新聞を購読している。その東京新聞に毎月第1土曜日に東京の名所旧跡を訪ねる訪問記が載っている。今月は「深大寺周辺」の記事だった。その記事を読んだ妻が深大寺に行きたいので一緒に行かないか、と夕食時に言ってきた。その場で2日後の体育の日の祝日に出かけることにした。

 

 私にとっては深大寺に行くのは20歳代以来なので約45年ぶりとなった。前回は車で行った思い出があるが、今回は電車とバスで行った。JR幕張駅から本八幡駅に向かい、都営新宿線の始発に乗り換えれば、京王線との相互乗り入れを行っているため、そのまま調布駅で下車し、北口の14番バス停で深大寺行に乗って終点で降りれば山門前である。所要時間は2時間弱だった。

 

 11時前に山門前に到着したので参詣客はまばらであった。これが深大寺参詣と隣の神代植物園を見学して14時に帰宅のバスに乗るころには大勢の参詣客で賑わっていた。参詣客のなかには七五三のお祝いにお参りをする家族連れの姿も見られた。さすが深大寺である。深大寺は天平5年(733年)に満功上人が開山した。満功は唐に渡り仏教を学んで帰国し、故郷の武蔵野に帰り深大寺を建立し深沙大王を祀った、と「深大寺縁起」に伝えられている。

 

 山門前や横道に名物の深大寺そば屋が軒を連ねており、現在20数軒の蕎麦屋が数えられるという。そばを味合うのはお参り後にするとして山門をくぐった。立派な本堂が建っており、その左に大師堂が建っていた。大師堂内では3人のお坊さんによる祈祷が行われていた。靴を脱いで堂内に入り、参詣者の一人として30分ほど祈祷を聞いていた。中央の坊さんが一番の年配者で一心不乱に祈祷を捧げ、右側の坊さんが大太鼓を力強く叩き、左側の若い坊さんが祈祷中に合掌を促した。祈祷終了後に祈祷をしていた年配の坊さんが話す講釈に堂内で祈祷を受けていた30人ほどの方々が静かに耳を傾けていた。坊さんは人間の輪廻のようなことを話していた。

 

玉乃屋の深大寺そば

 

講釈が終わったので大師堂を出て神代植物園に向かう途中で、深大寺そばを食べることにした。深大寺そばの起こりは、江戸時代の武蔵野丘陵台地は稲作に向かない土地であったため、小作人はそばを作り深大寺に納めた。深大寺ではそばを打って客を持てなした。元禄年間、深大寺の総本山である上野寛永寺に献上したところ、蕎麦の美味さを大いに賞賛した寛永寺門主が将軍家や全国の諸大名に広く推奨したという。そのために深大寺そばの名前が全国的に高まったという。神代植物園の入り口近くの玉乃屋という手打ちそば屋に入った。席は屋内屋外ともに空いており、雨は降っていないので屋外の席に着いた。私は鴨汁そばと清酒樽酒300mlを頼み、妻は天ざると甘酒を頼んだ。昼間の酒はとりわけ美味いのだが、そばも腰の強い美味いそばだった。

 

神代植物園ばら園

 

 入店のときは空いていた玉乃屋が、昼どきとなり入店待ちの行列が出来はじめたので、店を出て神代植物園に向かった。神代植物園は東京都立公園である。入園料は大人500円、65歳以上は半額の250円だった。園内には約10万本の木々が植えられており、ウメ園、ツツジ園、バラ園、ハギ園などの他、四季折々の草花の花を鑑賞することができる。雑木林に生えている木々も巨大なものが目立った。入園口に1010日から「秋のバラフェスティバル」開催の掲示があったので、私たちはバラ園に向かった。バラ園は中央に噴水が配され沢山のバラが花ひらいていた。沢山の人たちがデジカメを片手に自分にとってのワンショットを写していた。

 

 

バラが咲いた、バラが咲いた神代植物園に

 

 公園内ではベンチで休憩する人、本を読んでいる人、芝生でくつろぐ家族連れなど、ゆったりした時間が流れていた。神代植物園は有料公園であったが、公園内の木々や草花の管理などで日々大勢の方々の努力があるのだから、有料も当然かなと思った。先日の強力台風で、あちこちで枝が折れたり巨木が根こそぎ倒れているものもあり、その撤去に忙しそうに働いている人たちを目にした。

 

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