川面を渡って来るそよ風を受けながら

 

500種100万本が咲き競う

 

北利根川の川面を渡ってくる微風を受けながら堰堤に座り込み清酒を口に運ぶ。肴は鯉の洗い、青柳、帆立の紐、鰹の敲きである。喉元を下り胃の中で静かに拡がっていく酒の感覚が静かな時の流れの中で全身へと拡大していくようだ。水郷潮来の「あやめまつり」が開催されているので快晴の空模様に引かれ家を出て花菖蒲や水蓮の花を愛でにやって来たのである。


 事前にインターネット検索や駅のパンフレットで「あやめまつり」の概要を把握し散策コースも考慮していたが、再度、潮来駅前の観光案内所で配布している別パンフレットを貰い受け、北利根川沿いを下り「潮来ふるさと館」へと足を延ばす。途中、北利根川に架かるメロディー橋で歌が聴けるというのでなんの曲だろうと興味津々、橋の中央で押しボタンを押すと流れてきた曲は「俺は川原の枯れススキ、同じお前も枯れススキ・・・」という哀愁たっぷりの歌であった。遊覧船の行き交う広くゆったりと流れる川面を見下ろしながら聴いていたが、実にせつない歌詞である。

 「潮来ふるさと館」では地元の趣味サークルのイベントなのだろうか、スケッチをする人が沢山見受けられる。既に絵を描き上げて画材を整理している方、それに反して鉛筆で下書きを始めたばかりの方もいる。それぞれの方が自由に花菖蒲の咲き誇る風景を画用紙に切り写している。時間が止まったようなのどかな時が流れる。


 「潮来ふるさと館」に入ると左側の展示室で「水郷潮来の写真展」が企画されており沢山の写真が掲示されていた。その写真は古い昔の写真で、サッパ舟に農作業用の牛を乗せて運搬する姿、絣の農作業着を着こなして舟を操る早乙女の姿、あるいは漁をしている漁師の姿、夕闇迫る川面、等々がモノトーンの景色となって掲示されているのである。それらの写真と同時に婚姻の結納の品々、花嫁姿の着物類、生活用具として使っていた舟の模型、等々も同じ部屋に展示されていた。昔の生活の一部が偲ばれる展示である。菅笠などを販売している売店に郷土料理の混ぜ御飯のオニギリが2個300円で売られていた。丁度昼時でもあるのでオニギリを買い、お茶のサービスを受けながら外の縁台で花菖蒲や小池でザリガニ釣りに興じる親子の姿などを眺めながらゆったりした時を過す。

 「潮来ふるさと館」で折返し、再び北利根川沿いを戻っていくと真っ白い帆掛け舟が帆一杯に風を含み静かに川面を滑るように下っていく風景に出合った。今回の帆掛け舟は「あやめまつり」のイベントとして走らせているが、昔はこのようなノンビリした川魚漁の風景が日常の世界として見られたのだろうなぁと思った。

川面を流れる帆掛け舟

 潮来駅前のメイン会場の「前川あやめ園」に戻ると人人人の波である。笛や太鼓のお囃子に合わせて渦巻き模様の蛇の目傘を手にした踊り子が、潮来ばやしに乗って潮来祇園祭禮踊りを舞っている。3つ架けてある太鼓橋の上も大勢の人だかりである。「あやめ園」内に花村菊枝が歌った「潮来花嫁さん」や橋幸夫が歌った「潮来笠」の銅像が歌詞とともにモニュメントとして立てられている。その銅像の前で記念写真を撮る人が絶えない。「潮来花嫁さん」も「潮来笠」もともに私が小学生の頃に流行した1960年の歌であり、歌われてから約50年が経とうとしているが曲名を聞くだけで歌詞が耳の中に残っている歌でもある。

 前川では女船頭さんがゆったりと漕ぐ艪漕ぎ舟に観光客を乗せての「前川12橋めぐり」が、モーターボートの遊覧船も交えて行き交う舟でごった返している。あやめが咲く前川沿いを上流に向かってノンビリと歩いていく。川沿いには紫陽花の柔らかな花も一斉に咲き出しているが、今年は空梅雨なので紫陽花も心なしか元気がないように感じられる。帰宅の列車の時刻も迫ってきたので適当な場所で潮来駅に引き返すが「前川あやめ園」は相変わらずの人出だ。屋台で川海老の佃煮と縮緬雑魚と胡桃の混ざった佃煮を酒の肴に買った。ノンビリした風景が眺められ美味い肴と美味い酒が飲めたいい休日だった。

 

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