飲んだ、滑った、楽しかった、石打丸山スキー
友情の鐘での記念撮影
今年も新潟県石打丸山スキー場に出かけた。日程は2月14日〜16日までの2泊3日だった。今回は10人のグループとなった。昨年まで定宿としていた民宿経営者のおじさん、おばさんが高齢のため今年度から経営を中止したので幹事は新しい宿泊場所を探し、昨年までと同じ観光口の「エルム石打」を選んだ。これから定宿となるだろうエルム石打は観光口リフトの真ん前という絶好の立地条件にある。
1日目は9時にホテルに到着したがウイークディのためホテルは空いておりすぐに部屋に入ることが出来た。一休憩した後にスキーウェアに着替えゲレンデに出た。リフト5本を乗り継いで山頂の「友情の鐘」に集合し恒例の記念写真を撮った。昨年に比べると山頂の積雪は少なかったが、それでも雪は十分すぎるほど積もっていた。独特の山頂を形作っている八海山を始めとする上越の山並みも良く眺められた。美しいカーブで流れる関越自動車道と直線的な上越線のラインが南魚沼の白い大地を切り開いていくのが眼下に見える。いつみても気持ちのいい景色だ。
山頂ゲレンデを3本滑ったあと場所をハッカ石ゲレンデに移した。山頂ゲレンデに比べると傾斜が若干なだらかなため滑りやすい。ハッカ石ゲレンデは家族スキーで度々訪れていたゲレンデだった。一番南側のゲレンデで子どもたちと一緒に遊んだことが思い出された。あの頃は良かったなぁと、しばしノスタルジアに浸ったが二人の子どもも成長し、もう親とは一緒に滑ることはなくなった。スキー場に出かけるには友達同士だ。それでいいのだ。いつまでも親と一緒では成長のあとがみられない。
ハッカ石ゲレンデから中央のチロルゲレンデに戻り2本滑った。午前中の滑りとしては十分だろう。チロルゲレンデ脇にあるレストラン・ニュー丸山に食事休憩のために入った。私が2階に上がっていくとお客は一人もいなかった。いつもの畳の間に上がり二つのテーブルを繋ぎ合わせて10人分の場所を作った。小太りの店のお兄ちゃんは私の顔を覚えていて「1年ぶりですね。お元気そうで」と声をかけてきた。それももっともなことで私たちはこの店では常に畳の間に上がり込み日本酒の1升瓶を注文し、2時間近くダベッテいるグループである。このようなグループはそうそういないだろうと思う。店のお兄ちゃんにとっても印象深い客だと思う。
今回はビール瓶5本、「鶴齢」という地元南魚沼に蔵元のある酒を頼んだ。ビールはたちまち喉元を過ぎ去り、あとは持ちこんだ発泡酒やチューハイに変えるものと日本酒に変えるものとに分かれる。私は当然日本酒に進む。酒の持ち込み自体が店にとっては迷惑なことなのだが、目くじらを立てて注意などしたら次回から客は店にこないことが分かっているので持ち込みを知っても見て見ぬふりをしているのである。勿論、私たちもおおっぴらにグラスに注いだり、テーブルの上に空き缶などを出さないのはお互いの阿吽の呼吸だ。私たちも、つまみを頼み、昼食を頼んで食事もしているのだから。
午後2時近くなり青空が広がっていたが足元は酔いのためあやしくなっていく。レストランを出て仲間が山頂ゲレンデに上って行くのを尻目に私は怪我をしてもつまらないのでホテルに戻ることにした。今度のホテルは24時間風呂に入ることが出来た。一緒にホテルに帰ってきた仲間と一緒に一風呂浴び、風呂上がりにはやはり酒である。ビールを飲んだ後は次々に戻ってきた仲間との宴会に突入する。今回のスキー仲間と一緒に飲むために持ち込んだ幻の酒と言われている「田酒・純米大吟醸」の栓も開ける。1升8000円の高級酒であるが殆ど市場に出回ることはなく、ネットショッピングでは定価の2倍となる16000円で売買されている酒でもある。私は毎年暮れになると娘が住んでいる街の酒屋さんと懇意にしており、1升瓶6本と4合瓶6本を直接自宅に宅急便で配達してもらっているのである。
2日目も絶好なスキー日和となった。週刊天気予報では午後から崩れる模様だったが、空の雲量は増してきたが崩れることなく1日快調に滑れた。昼食には「朝日山」という1升瓶の地酒を飲んだ。
3日目は猛吹雪の状況になった。湯沢温泉である「ユングパルナス」に入り昼食を食べたあと次のスキー場である尾瀬岩鞍スキー場に向かったが、関越自動車道は湯沢〜水上間が吹雪のためストップになってしまった。いやはやなんともの事態となったのだ。しかし相手は天候なので仕方ないことだ。関越自動車道のゲート再開を待っていても何時になるか分からず、国道17号で三国峠越えをするしか方法はなかった。時折りフロントガラスが真っ白となり全く前が見えない状況になるなかでの運転は当然のことノロノロ運転とならざるを得ないがドライバーにとっては神経が消耗する事態だった。