お父さんは昨年から毎週、千葉市武道館で居合道をならっています。
勤務地が東京
一撃必殺の居合の技を学ぶといっています。
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夢想神伝流居合道
1月25日(土)
午後4時50分、香取神宮神官の祝詞から千葉武道文化推進会主催の「第6回武道文化交流鏡開式」が千葉市武道館で始まった。私は鏡開式に参加するのは初めてである。
開式の言葉に続き大太鼓が叩かれ、国家斉唱に続いて静かに琴の調べが流れる。千葉武道文化推進会会長挨拶、来賓祝辞、紹介と続いて会長、副会長、館長の神前への玉串の奉納があり閉会の言葉へと続く20分ほどの式典であった。
辺りが暗くなってきた5時半からいよいよ演部会第1部が始まった。香取神宮が祭られている神棚の前面中央に畳が敷かれ特設舞台となっている。天井の蛍光灯は全て消され変わりに舞台の4隅に雪洞がたち、両脇に百目蝋燭が2mおきに灯されている。明かりはそれのみだが舞台上は結構明るい。
第1部には8つの団体が出場した。香取神道流の居合・剣術から始まり、合気道、鎖術、一刀流、柔術、薙刀術、鎖鎌、の諸流派の演舞が続く。圧巻だったのは「忠臣蔵300年記念寸劇」が裏舞台の暗闇の中で演じられた時、観客は固唾を飲んで見入った。なぜならば、斬り合いに使っている刀は本身(真剣)であり、舞台上に立っている青竹などをバサバサ斬っており実に迫力があるのだ。寸劇は15分ほど続き、最後には白装束の吉良上野助が舞台中央に引きずり出されバッサリと首を打たれて終幕となった。
余談ながら日本刀というのは本当に斬れる。居合教室の中で試し切りというのを私も体験したことがあるが凄い切味である。畳表を丸め10cm程の円筒を作り、それを台の上に立てておいて日本刀で斬るのだがスパッと見事に斬れる。恐ろしい切味である。この感覚は体験した人でないと分からないと思う。
10分ほどの休憩の後、第2部も香取神道流の棒術・薙刀から始まり、合気道、空手道、剣凛、と続き、13番目が私たち練誠館・千葉道場の居合道の出番であった。
渡辺先生を先頭に練習生5名が出場した。最初に練習生5名による演舞が行われた。2名が前列、3名が後列の陣形で私は後列の中央であった。居合の形披露は、大森流「初発刀、介錯、勢中刀」の3つであった。昨年9月に居合教室に入った素人ばかりの5人だが息は合っていた。礼に始まり礼に終る仕草も決まっていた。
練習生の演舞が終ると渡辺先生の登場である。先生は連続業を3本披露した。先生の斬り下ろしは空気を斬る「ピュ」という音がはっきり聞こえる。剣のスピードがとても速い。2本目までは納刀まで文句なしに決まった。3本目の納刀時に65才の先生にとってはスタミレ切れなのか僅かに切っ先がぶれ一度で決まらなかった。でも何回見ても先生の形はピタッと決まっている。
私たちの後にテコンドーの披露があり8時半に鏡開式は終了した。私にとって初めての貴重な体験であった。
思い起こせば半年前の『ちば市政だより・8/15号』に千葉市武道館のカルチャー教室として「居合道教室」の参加募集が掲載された。
内容は9月4日〜11月20日の水曜日19:00〜21:00まで定員35人で参加料は1800円とあった。早速、往復はがきで参加申し込みを行ったところ、申し込み締め切り後まもなく参加許可通知が届いた。
私はかねてからチャンスがあったら「居合道」を体験してみたいと思っていた。契機は2年前に観た『雨あがる』という映画の中での主人公の居合にあった。スクリーンに映し出された型は素晴らしいものだった。山本周五郎の原作を黒澤明監督が映画化しようと思い脚本まで書いたが映画化の前に監督自身が亡くなられたので弟子達が映画化し、主人公の浪人を息子の寺尾聡が演じた。その居合道を体験するチャンスがめぐってきたのである。
9月4日〜11月20日までの10回の居合道教室は娘の交通事故災害という突発事態で1回休んだ以外は全て参加した。年が改まり2003年の正月に居合道教室で学んだ練習生10名が集まり渡辺先生のもとで「練誠館・千葉道場」の1期生として新たに出発したのである。
私たちが学んでいる居合道は「夢想神伝流」というものである。「夢想神伝流」とは、居合の始祖・林崎甚助重信を流祖とし、昭和の剣聖・中山博道範士が体制化をなした。古くからは林崎流、林崎夢想流、夢想流等と言われており、戦後においても長谷川英信流、大森流等まちまちの流名で呼ばれていたが、昭和40年代に至り中山博道範士の門流に連なる者は「夢想神伝流」と統一され今日におよんでいる。
居合道は剣道のように相手に対しての打ち合いはないが、常に相手を意識し必殺の太刀筋により相手を斬り倒す心構えが必要なのだ。そしてまた背筋を伸ばし要所要所にメリハリをつけ「形」を決めることが大切だと感じた。
私は「夢想神伝流」という居合にめぐりあえたことは、居合道とは何かということを追求するせっかくのチャンスなので、この体験を続けることにより私自身の中に居合のイメージをより大きく、より豊かに膨らませていけたらと思っている。その実践を通じてさまざまな発見があるのではないかと思っている。それは私の精神を成長させる糧となる予感がしている。まだまだ居合道というもののほんのさわりに触れただけだが、私の中で徐々にではあるが居合道とはどういうものなのかというイメージが確立しつつある。
今回、練誠館・千葉道場の練習生たちは武道館の鏡開式で演舞を行ったが、半年前のカルチャー教室の出発時には誰一人として鏡開式出場など夢にも描かなかったことである。やってみればできるものである。演舞を終え控えに戻ってきた5人はお互いによくやったと握手、握手であった。舞台の上で緊張しながら演舞を行った5名の練習生、鈴木、高崎、私、鈴木、浜田の一人ひとりの胸中に鏡開式への参加は貴重な体験としていつまでも残ると思う。
03、1、26、記