百椿図

 

百椿図 本・末 2巻

 

 南青山にある根津美術館で‘椿をめぐる文雅の世界’と題して『百椿図』展覧会が開催されていたので出かけていった。根津美術館に行くのは初めてである。営団地下鉄「表参道」駅で下車し、徒歩7〜8分で竹林が爽やかさを感じさせる美術館に到着した。目指す『百椿図』は1階第1展示室で公開されていた。

 

 昨年、NHK大河ドラマで『江』が放映された。その江の3番目の夫は徳川2代将軍徳川秀忠であった。関ヶ原の戦い、大阪冬の陣、夏の陣が過ぎ、戦国時代がようやく終焉を迎え太平の世の出発となった江戸時代初期は椿の園芸が一大ブームを迎えていた。そのおりに丹波篠山藩主であった松平忠国と子で明石藩主松平信之によって椿を描いた絵巻物が作られた。『百椿図 本』『百椿図 末』の2巻からなる絵巻物である。絵師は京都狩野派の租・狩野山楽と伝えられている。その絵巻物が1月7日〜2月12日までの期間で初展示されたのである。

 

超花王

 

 私は花の絵をよく描く。私が描くのは水彩画か色鉛筆画であるが、展示されていたのは日本画である。日本画の特徴は輪郭線を描く。描かれた椿の花のグラデーションも見事であった。その椿の絵を見た感想を当時の著名人が漢詩や歌を絵の余白に書き込んでいた。『百椿図 本』巻の最初に登場した著名人が水戸黄門でおなじみの水戸光圀であった。今から350年前の本人の署名である。

 

光圀は「いさはや」という名の椿の花に対しての歌が書かれていたのだが、細筆で流れるように書かれた文字はあまりにも達筆なので何が書いてあるのか全く読めなかった。解説文を読むとなるほどなぁと納得した。水戸光圀はテレビ放映の水戸黄門漫遊記でおなじみだが、あれはあくまでも面白おかしく作られた物語であり、実態は水戸藩2代藩主であると同時に『大日本史』の編纂事業を開始した学者でもあったことが達筆な文字と花に添えられた歌によって浮かび上がってくるのであった。

 

 

 

 私が気に入った椿の花は、本之巻では「超花王」と「とくなが」という花であった。「超花王」には卍元帥蛮という賛者の署名のみが記入され、「とくなが」には里村玄祥の署名で「玉椿 花のひもとく ながめ哉 紹尚」という歌が添えられていた。末之巻で気に入った椿の花は、「星」という花であった。その花には玄顯という署名で「雲の上のきくにはあらで玉椿 みまくほしてふ なにやさくらむ」という歌が添えられていた。「本之巻」「末之巻」2巻に描かれた椿の花は100種類を超えていたが、この100種を超える椿の花の中で現在見ることのできる椿の花は少ない。

 

絵を描く場合、輪郭線を描くことによって描く対象物の形がハッキリ確認できるが、実際には輪郭線は存在せず便宜上描いているだけなのである。輪郭線を描かない代表的な画家は、パステルカラーで子どもや花を柔らかく描いた、いわさきちひろ、である。

 

美術館の展示室は1階に第1〜第3、2階に第4〜第6までの構成だった。

第1展示室では、『百椿図』を主としたメイン展示

第2展示室では、天部の絵画―守護と福徳の神々― として仏教絵画

第3展示室では、仏教彫刻の魅力

第4展示室では、古代中国の青銅器

第5展示室では、山水の器

第6展示室では、初釜を祝う

特別ケースでは、宝飾時計

 

をそれぞれ展示していた。また、庭園に出ると都心にもこんなにも大木と緑豊かな場所があるのだと感じ入ってしまう庭が広がっていた。庭園内の坂下のベンチに座ると静かな時間を持つことができるのである。

 

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