北斎は天才だ
10月中旬、長野県の小布施に出かけた。目的は北斎館と高井鴻山記念館で開催中の特別展「北斎漫画展 江戸伝承版木を摺る」を見るためである。
『北斎漫画』とは「富嶽36景」で有名な葛飾北斎が弟子や絵を志す人のための手本として人物画、風景画、風俗画、動植物画、妖怪図、春画などあらゆる森羅万象を描いたもので、初編は北斎が55歳の時に出版された。初編がベストセラーとなったため、北斎漫画は北斎が亡くなった後も出版され続け1878年(明治11年)全15編で完結された。15編の中には3900余りの図画を集めている。北斎館の通常展でも北斎漫画の一部は展示されているが、今回は特別展として開催される案内が毎日新聞に載った。即、出かけることに決めネットで行程を調べ手配した。
スケジュールは次のように日帰りで考えた。幕張の自宅を5時に出て幕張駅5時15分に乗車し新宿で下車。新宿西口バスターミナルを6時50分発の高速バスに乗ると長野駅には10時30分に到着する。長野電鉄線に乗り換え小布施駅到着は11時11分。駅から徒歩10分で北斎館に到着する。途中に昼食時間を入れても北斎館と高井鴻山の2館をそれぞれ2時間ずつ鑑賞し、16時過ぎの長野電鉄に乗車し長野駅で下車。駅前から高速バスに乗車すると新宿西口には20時40分に到着する。幕張の自宅への帰宅は22時10分となった。長野新幹線で行けば時間的余裕ができるがバスに比べて料金が9000円高額となる。今回はバスを選択し、その差額で北斎館の売店で画集を3冊買うことができた。
小布施の北斎館周辺には平日であるにも関わらず大勢の観光客が訪れていた。私が小布施の北斎館を訪ねるのは2度目である。1度目は私自身の還暦祝いを湯田中温泉で行った際に訪れ、その時に「北斎漫画」というのを初めて見たのである。4年前のことだった。見た途端、その筆のタッチに魅せられてしまった。対象となるものの特徴を正確に捉え、スピード感あるタッチで一気に描かれている作品の数々。いやぁーまいった。という感じにさせてくれたのが「北斎漫画」である。今回、北斎漫画を北斎館と高井鴻山記念館の2館で展示するというので駆けつけたわけである。
北斎は90歳という高齢で亡くなったわけだが、臨終の床で「あと10年寿命があれば・・・」とつぶやき、しばらくして「あと5年あれば、本物の画工になれたのに・・・」と悔しそうに語ったと言われているが、天才画家北斎の絵に対する執念の凄さを感じる。
北斎館に展示されている北斎漫画、肉筆画、屋台天井図を丁寧に鑑賞したあと高井鴻山記念館に向かった。
昼食時間になったので高井鴻山記念館の前にある「手打ち生そば 朝日屋」に入った。店内は満席気味だったが運良く1席空いていた。ビールとざるそばを注文した。出されたビールは大瓶。つまみの漬物は2皿。ざるそばはビックリするほどの大盛り。私の前に運ばれてきたそばの盛りを見て、後から注文した人は「あれで普通盛りですか?」と確認後に注文するほどの大盛りだったのである。ビールを飲みながら食べたそばは美味く値段は790円だった。
ほろ酔い加減で高井鴻山記念館に入った。高井鴻山は江戸時代末期から明治初期にかけての豪農、豪商で晩年期の北斎を度々小布施に招いており、鴻山自身も京都や江戸で勉学に励んだエリートである。現在も広い敷地内では酒蔵を営んでいる。北斎のアトリエも残されている。広さは6畳だった。
北斎は江戸から240km離れている小布施まで歩いてやってきたのであるが、最初に訪れたのは82歳の時である。なんと丈夫な足腰をしていたことか。それ以後、90歳で亡くなるまでに小布施への訪問は4度に渡り、滞在期間は3年半になったという。その間に東町祭屋台天井絵「龍図」「鳳凰図」や上町祭屋台天井絵「男波」「女波」を描き、岩松院天井絵「鳳凰図」を描いた。また、北斎は毎日日記のように描いていた獅子図が残されているが、北斎の素晴らしさは対象物の動きを確実に捉えた見事なデッサン力と大胆な構図にあると思う。それが見る人に強烈なインパクトを与えるのだ。北斎の絵は、モネ、ルノワール、ゴーギャン、ロートレック、ゴッホたちに強い影響を与えたのはあまりにも有名なことである。