12月5日 1日1組限定ハワイ島日帰り貸切りチャーター観光
3日目は、1日1組限定ハワイ島1日観光でした。5年前にもハワイ島1日観光ツアーを体験しましたが、その時は相乗りワンボックスカーによるカタログツアーでした。観光名所のキラウエア火山の火口、火山博物館、ハメハメハ大王公園、溶岩洞窟、溶岩ウォークなどを回るツアーでしたが、今回はタクシーをチャーターして自分たちが行きたい場所に行くことにしました。
4時55分にホテルロビーへドライバーが迎えに来ました。ホノルル空港に到着するとツアー会社の女性担当者が待っており往復の航空券を渡されました。チェックインしてA20ゲートの待合室に向かいましたが、室内は冷房が効きすぎて身体が冷え込むため、私はダウンインナーを着込みました。尾翼に女性の横顔が描かれているハワイアン航空158便は、ホノルル空港を7時57分の定刻通り離陸しました。機内でハワイ島の地図をもらい、飛行時間30分ほどでハワイ島の西側に位置するコナ空港に着陸しました。
ハワイ島コナ空港
空港出口で現地ガイドの船着さんと出会いました。船着さんは沖縄県波照間島出身の63歳でした。私は1ヶ月半前に日本縦断てくてく一人旅の最後を波照間島で迎えたので、暫し波照間島の話題で盛り上がりました。船着さんの家族は神奈川県横須賀市に住み、船着さんは単身でハワイ島に来ており、ヒラメの養殖業をしているとのことでした。ざっくばらんでフレンドリーの方でした。私たちの観光要望である@火山、A展望台、B野鳥、を伝えると、船着さんは了承し乗用車を発進させました。空港から海岸に沿って19号線を北上し、観光用ヘリポート地点から右折し、200号でハワイ島を横断してヒロに向かいました。200号は通称「ダニエル・イノウエ高速道路」と呼ばれており、軍用道路として開通した道路です、と説明を受けました。木の育たない荒涼の原野を走行する感じでした。
マウナロア山を背景に
山頂に天体観測所と展望台のあるマウナケア山を左側に望みながら山麓を走り、マウナケアパークでトイレ休憩となりましたが、ドライバーの船着さんによると、山頂への道は封鎖されている、とのことでした。私たちの要望した山頂展望台へは行けないことになりましたが、実は道路が封鎖されているのではなく、個人用営業車は山頂への通行が禁止されていることが後になって判明したのです。個人営業者が山頂に行くためには事前に許可申請などの面倒な手続きがあるようで、違反すると高額の罰金を取られるとのことでした。警備のためかは不明でしたが警察の車が2台停車していました。もしかしたら、スピード違反を取り締まっていたのか、帰りに同じ道路を通った時に1台の車が止められ調書を取られていました。
高速道路の左右には小山のような噴火丘が沢山あり、野生のヤギが多数草を食んでいました。こういう風景が見られるのもここの特徴だろうと思いました。海岸沿いを走っていた時は曇り空でしたが、高速道路を走行中はフロントガラスを雨が叩いていました。天候が目まぐるしく変わるのも特徴的なようでした。
噴火丘と野生のヤギ
高速道路を走っているとマウナケア山頂天文台建設反対運動のテント村が登場ました。船着さんの説明によると、テント数は半分に減ったとのことでしたが、それでもかなりの数のテントが道路の両側に建っていました。風に吹かれているのはハワイ州の旗でした。反対運動の名目は自然保護とのことでしたが、実は山頂区域の利権が絡んでおり、すでに1年間建設が止まっているとのことでした。
マウナケア山頂天文台建設反対運動のテント村
昼食は時間の節約にもなるので地元の食堂に入るのではなく、ヒロのスイサンという店で『ポキ丼』を買い、どこかで溶岩流を観ながら食べることにしました。ポキとはハワイ語でマグロの意味です。10種類ほどあるマグロ料理の中から自分が食べたい2種類を選び、それに御飯が付いて約14ドルでした。
ヒロの運河に大量に湧き出る泉
ヒロの運河に大量に湧き出る泉を見に行きました。普通の観光コースには含まれていない、と船着さんは言っており、レアな場所のようでした。湧き出す水量が物凄く多く、水は緑色がかっていました。海水と淡水が混じり合う汽水域の水の色は緑色になるとの説明でした。泉を見た後、ヒロから車で約1時間の距離になる火山に向かいました。ヒロの町もいつかは溶岩で埋め尽くされるだろう、との説明を受けました。毎年盛んに爆発している火山のそばに住んでいるので、ここら辺の人たちは、そういう覚悟を持って生活しているようで、文字通り自然とともに生きていると思いました。
見渡す限り溶岩・溶岩・溶岩
今も活発に火山活動を続けるキラウエア火山の溶岩が地下の溶岩洞窟を通って海に向かうのですが、海は冷たいため溶岩が固まり、洞窟内の溶岩は行き場を失い地表に吹き出してきます。噴き出してきた溶岩は粘着力が強く、そのため流れる速度は遅いのですが表面温度は1200度と高温のため、周りのものを焼き尽くして流れていきます。それが定期的に起こるのが、ここら辺の自然環境です。見渡す限り溶岩・溶岩・溶岩で、火口からは薄い煙が上がっているのが見えました。
溶岩の上に建つ家
溶岩台地に焼け残った家が散見されるのは2年前の噴火のなごりであり、焼け出された人たちは州の補償金で別の場所で生活していますが、元の家があったと思われる場所に別荘のように家を建てたのがいくつも見られました。水のない場所に、よく家など建てるものだと感心しました。それにしても圧倒的な溶岩の量には自然の力強さを感じました。オアフ島ひとつ分くらいの広さが溶岩台地となっている光景は実に絶景でした。
溶岩の上に座り込み溶岩流を眺めながらポキ丼を食べました。とても美味かったです。食事文化の違いですが、西洋人はテーブルと椅子をセッティングしての食事となりますが、日本人を含めてアジア人は、その辺に座り込んでの食事となる場合が多いようです。
ポキ丼
昨年溶岩が流れたニュウ・ブラック・サンド・ビーチという新黒砂海岸に向かいました。ポホイキ海岸の港が流れ出た溶岩で埋められられてしまい、閉じこめられてしまった多数の魚が池の中で泳いでいました。彼ら彼女たちはいつになったら池の中から広い海に帰ることが出来るのだろうか心配してしまいました。
新黒砂海岸と溶岩で埋まってしまった港
噴火口の間近に行くと車窓から水蒸気が上がっているのが見え空気が熱く感じました。噴火口と言っても住宅地の庭から溶岩が吹き出た、と船着さんは言っておりました。当然、山の上ではなく林の中の平坦の場所でした。ここでも自然のパワーの大きさを感じました。溶岩流に埋められてしまい、復旧工事が進んでつい先日開通したばかりの道路を走ると、走行する直前に雨が降っていたため、まだ熱を持っている溶岩に熱せられた雨が、水蒸気となって立ち挙がっていました。台地が生きているのを実感しました。
5年前にも入店したことのある『ビッグ・アイランド・キャンディーズ』という店に入ってトイレ休憩すると、入店直後にチョコレートとコナコーヒーの接待を受けました。店内からチョコレート制作工場がガラス越しに見えました。こういう見せ方をするとお客も興味が湧くのでしょう。商品のパッケージデザインや包装も人気があるといい、ここの店主もヒロからホノルルに移住したとのことでした。
ビッグアイランドキャンディーズの売り場から見える工場
帰りの高速道路は雨の中となり周囲は霧の中でした。インターネットでマウナケア山頂のライブカメラ映像を確認した船着さんが、山頂は雪が降っている、と言っておりました。実に変わりやすい天候です。
ガイドの船着さん
ハワイ島の政治の中心は第1の町のヒロで、若者と子どもが多く人口は約10万人。第2の町のコナは別荘地で、老人が多く人口は約8万人とのことでした。ハワイ人はポリネシアから渡ってきた2mの巨人でタロ芋を食べていました。その末裔は現在まで殆ど遺跡を調査させていませんが、埋葬方式についてはキリスト教や仏教は墓を作りますがハワイアンは墓を作らず散骨という方法を取っているとのことでした。長い間ハワイの文化が継承されることが禁止されていましたので、文字を持たなかったハワイアン文化の継承は難しいと思われます。ハワイは1959年に50番目の州としてアメリカ合衆国に組み込まれました。