花の命はみじかくて(オオガハス)

 

千葉市の花となっているオオガハス

 

 76日 晴れ

 1951年(昭和26年)3月、花見川沿いにある東大グランドで約2000年前の地層の発掘調査が行われた。その調査最終日に地元の花園中学校の女生徒が一粒の種子を発掘した。調査を指導していた大賀博士が発芽に成功し、翌年にピンクの大輪の花を咲かせた。アメリカのLIFE誌に「世界最古の花・生命の復活」として掲載され、古代ハスは「オオガハス」と命名されて千葉市の花となった。現在では千葉市イメージキャラクターの“はなちゃん”にもなっている。6月下旬から7月上旬にかけて、東大グラウンドの隣にある「しらさぎ公園」で大輪の花を咲かせている。ハスの花は午前中だけ花を開き、開き始めてから4日後に短い開花期間を終えて花びらを落とす。

 

花の命はみじかくて・・・

 

 「花の命はみじかくて・・・」というフレーズは、『放浪記』を書いた林芙美子の詩の一節だが、NHKの朝ドラで人気があった『花子とアン』のモデルで、『赤毛のアン』の翻訳者の村岡花子に贈った色紙には次のように書かれている。

 

風も吹くなり

雲も光るなり

生きてゐる幸福は

波間の鴎のごとく

漂渺とただよい

 

生きてる幸福は

あなたも知ってゐる

私も知ってゐる

花のいのちはみじかくて

苦しきことのみ多かれど

風も吹くなり

雲も光るなり

 

最近、高峰秀子にはまっていて、数冊の本を読むと同時に、林芙美子の原作で高峰秀子が主演した『放浪記』と『浮雲』のDVDを観たが、林芙美子の実体験を踏まえた作品なので、林芙美子の下積み生活が作品の底に流れていると感じられ、本が売れるまでは大変だったのだろうと思った。

 

花見川を悠々と泳ぐオオバン

 

 花見川の水面を悠々と泳ぐ黒い鳥がいた。カワウにしては小さいので双眼鏡で確認すると、なんとオオバンだった。4月にカルガモ以外のカモ類は全て北の国に帰ったと思っていたのでビックリ。最近はオオバンの姿も見かけることはなく、久しぶりの出会いだった。帰宅したあと、改めてオオバンについて確認すると、日本国内の暖地と寒地で移動はあるものの、1年中留まっている地域もあるとのことだった。幕張では数は少ないが、1年を通して出会える鳥のようだ。

 

ワスレグサ

 

 ワスレグサの朱色の花が花見川の土手に咲いていた。ワスレグサは、朝、開きだして夕方にしぼんでしまう1日花と言われているが、実際には2〜3日花を開かせる。ニッコウキスゲやカンゾウもワスレグサの仲間である。そのワスレグサの咲く岸の茂みの下から、低く響くウシガエルの声が聞こえてくる。それも一匹ではなく、あちこちから聞こえてくるのだ。昔、ケロヨンという名でウシガエル(食用ガエル)が焼き鳥屋のメニューにあった。食べてみるとカエルの肉は鳥肉のように淡泊で美味しい。あまり注文が入らないこともあり、普段は冷凍で保存していて、注文を受けてから解凍して焼く手順となっていた。私が頼んだ時は、解凍が不十分で半生状態だったが、レアな焼き鳥を食べる感覚で味わったことを思い出した。

 

藪に潜むキジのオス

 

 早朝バードウォッチングはキジに出会う確率が大きい。オスの「高鳴き」が聞こえてきたので、声が聞こえたあたりの耕作放棄地を探してみた。耕作放棄地の一部が借り払われ除草剤をまかれ、草が枯れているところがある。そこで度々キジのオスに出会うのである。キジは滅多に飛ぶことはなく歩いて移動する。キジが動いてくれれば探しやすいのだが、キジはほとんど動かない。こちらの姿を確認すると、石にでもなったように動かなくなる。それが本能的に備わった身を守る方法なのだろう。双眼鏡で細かく探していると、藪に潜むキジのオスの顔が見えた。キジのオスは『仮面の忍者・赤影』のように、赤い仮面を着けているように見えるので目立つ。やれやれという感じだった。10分ほどキジが動き出すのを待ったが、キジはそのまま動かなかったため、私が移動したのだった。

 

獲物を狙うコサギ

 

 田んぼの畔にダイサギとコサギが佇んでいた。しばらくするとコサギが動き出した。稲の根元に獲物を見つけたようだった。抜き足差し足で静かに獲物に近づくと、縮めた首を一気に伸ばして獲物を捕らえた。水の張られた田んぼには様々な生き物が棲んでいる。それらの生き物を捕まえてサギ類は生きているのである。

 

卵を温めているツバメ

 

 7月6日、バードウォッチングを終えて、帰宅途中にツバメの巣を覗いてみた。1羽が電線に留まり、1羽が卵を温めていた。無事に雛がかえり、黄色の口を思いっきり大きく開けて、親ツバメに餌をねだる雛ツバメが見たい。

 

戻る