浜松まつりの大凧揚げと初練り

頭上に落ちてきた大凧

 

 5月3日、巨大な凧が勇壮に空を舞う「浜松まつり」の凧揚げ合戦が静岡県浜松市の中田島砂丘で始まり、市内の169の町内会から参加した。私たちと碓井ファミリーも見物に出かけた。凧の大きさは2−10畳とのことなので、大空に悠々と舞い上がっている凧は遠くから見ても町内会の印がはっきり確認できる。その個性豊かなマークの凧が会場上空を埋め尽くした。


 午前中はあいにくの雨模様となったが凧揚げは10時からスタートしていた。10時から11時までは初子が生まれた家で凧に子どもの名前を書いたのを町内会で揚げる。ひとつの凧に掛かる費用は40万円と伺った。11時からは市内169の町内会の凧が一斉に揚がりその凧揚げの技術を競う。私たちが会場に着いたのは11時少し前であった。従って、ラッパや太鼓の音が鳴り響き、「おいしょ、おいしょ」という掛け声とともに町内会の大凧が大空に一斉に舞い揚がっていく姿を見ることができた。素晴らしいの一言であった。

 

 参加者の熱気に押されてか午後には青空も広がった。

広〜い凧揚げ会場の両側中央に観客席が設置されお年寄りを中心に熱心に見物している。風はあまりなかったが町内会の人たちが協力し合って綱を引くと大凧はぐんぐん上昇していく。凧揚げにも町内会の中で役割が決まっており微風の動きを読みながら凧を揚げては落とし落としながら揚げていくテクニックは実に見事である。しかし凧揚げもボーッと見ていると危ない。風向きによってはいつ頭上に落ちてくるか分からないからである。実際、私たちの上にも6畳の凧が落ちてきて間一髪のところだったのであった。

 

パッパ・パッパ、パッパ・パッパ、パッパ・パッパ・パーのラッパの音が会場のあちこちからひっきりなしに聞こえてくる。各町内会の凧揚げ隊の中にラッパ隊が構成されているのだ。凧揚げは町内会の競い合いなので、揚げ手を応援し闘争心を鼓舞するラッパ隊の構成は町内会によって様々で子どもから大人まで参加している。町内会の誰でもが参加できる内容になっている。

 

御殿屋台の市内引き回し

 

 夜になった。いよいよ浜松市内は交通を前面ストップして御殿屋台の市内引き回しと練り・初練りの登場である。

私はすぐに参加した。まずはみんなと一緒に御殿屋台の引き回しを見に出かけた。御殿屋台は彫り装飾も見事な3階構造のものであり、提灯を掲げ歌舞伎囃子を演奏しながら子どもが混じった町内会の人たちに引かれていく。のんびりしている光景で心を和ませる。

 それに対して練りの場合はグッと行動的になる。先頭は町内会の旗印である。その後に提灯が続き、威勢のいいラッパ隊と太鼓に続いて町内会の参加者が続く。それらは揃いの半被に紺色ズボンの正装でビシッと決めているのである。練り隊はすり足で「おいちょ、おいちょ」とかけ声を掛け合いながらリズミカルに威勢良く進んでいく。交差点の中央に来ると「おしくらまんじゅう」のようにもみあう場面があちこちに出現する。

 

 私も当然の如く練りに飛び入り参加した。最初は隊列の中央位置にいたが何回か隊列を整えるたびに前に進んで行き気がついた時は太鼓に続く最前列で練り歩いている始末である。初参加のため最初は掛け声が分からなかった。「よいしょ、よいしょ」なのか「せいや、せいや」なのか「おいしょ、おいしょ」なのかよくわからない。

 時間は経過するが市内のあちこちを練り歩いたため、初めての浜松市内では帰る友達の家の方向が全く分からず帰るに帰れない状態になってしまった。まいったなぁ、と思うが、ま・なんとかなるだろう、と思い直して最前列で練り歩く。

一番気持ちが良かったのは浜松駅前の練りだった。浜松駅前で近隣4町内会と連合を組んで道路一杯に広がって練り歩いた時は歩道上には鈴なりの見物人で溢れかえっているし、こちらは最前列だから否応なく気合が入る。機動隊のジュラルミンの盾はなかったけれどベトナム反戦や沖縄返還闘争のデモ隊に参加していた30数年前の体感が蘇ってきた。時代は随分変わったなぁとしみじみと感じた。

 

市内の「練り」が終ると20分ほどの休憩を挟んでいよいよ「初練り」である。

「初練り」は第1子の男の子が生まれた家を祝うために練る。初子が健康で丈夫に育つように町内会全体でお祝いするのが趣旨である。しかし最近は少子化傾向もあり町内で男の子が少ないので女の子が生まれても練ることがあるという。実際、昼間の大凧揚げでも女の子の名前を書いた凧をいくつも見た。

リーダーが「服装点検とワッペン確認」の号令を発し役員が参加者一人ひとりの確認に入った。私はその時は提灯隊になりローソクを燈した提灯を捧げていたが半被とワッペンはOKだったが、ズボンが青のジーンズだったため隊列からの離脱を告げられてしまった。ズボンは紺か黒に決められているとの説明を受けた。残念だけれど仕方ないので提灯を役員に返し隊列の最後尾からついていくことにした。初練りの2軒目が友達の弟の初子(長男)のお祝いの家なので隊列についていけば家に戻れるわけである。

 

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「初練り」で子どもが健康で丈夫に育つよう町内会全体でお祝いする

 

 1軒目の果物屋の初練り時に家族達と再会することができた。みんなと別れて練りに飛び入り参加してから既に2時間を経過していた。妻は私が酒を飲んでいたので途中で行き倒れてはいないだろうかととても心配したようであったが、本人の私は何処吹く風とばかりに初練りの隊列に加わり走り回っていたのである。お祝いの家の前に用意された台の上で樽酒が割られ、ビールや酒やツマミがこれまでかというほど振舞われる。当主や町内会の役員が樽を両手に抱えて飲み干すと次のお祝いの家に練り込むわけである。参加者はみんな笑顔だ。飲んで食べ、食べては走る。いやはや、なんともである。

 

友達の生家は花屋を営んでいる。その家の前に遠江分岐稲荷神社が田町の氏神様として鎮座している。田町の町内会の半被や大凧に印されている図案は分岐稲荷神社の神印である光林寺(棒持の玉・宝珠)の紋を図案化したものを使用している。

 


田町(たまち)

 

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