楽しかった第46回塩の道祭り白馬村コース
新緑と残雪の白馬三山が素晴らしかった
5月4日 祝日 晴れ
毎年5月の3連休の3日・4日・5日に渡って長野県小谷村・白馬村・大町市で『塩の道祭り』が行われている。塩の道とは、日本海で造られた塩を千国街道で、雪が残る季節は人が背負って運び、雪が消えると牛の背に積んで松本城下まで運んだ道である。この昔からの日本海から信州松本までの道は、日本アルプスを世界に紹介したW・ウェストンも歩いた道である。
出発前に別宅で記念撮影
今年の塩の道祭りは第46回となった。海外登山やトレッキングで知り合った私たちのグループは毎年参加している。昨年は小谷村コースを歩いたので、今年は5人が白馬村コースを歩くことにした。白馬村コースは5年前に歩いたので今回は2度目だった。
開会式の鏡開きに参加した
白馬村コースのスタート地点は、白馬クロスカントリー競技場で8時から開会式だった。私たちは7時50分にスタート地点に着いて受付を済ませると、私の仮装した侍姿を見て、受付係から一般参加者の代表として鏡開きに参加してもらえますか?と聞いてきた。鏡開きへの参加などめったにない機会なので、いいとも!という声で私が一般参加者代表で鏡開きに参加することになった。
鏡開きの酒を3杯いただきエンジンがかかった
白馬村村長、村議会議長、観光協会会長、白馬村出身元オリンピック選手、観光大使などに混じって鏡開きの舞台に立った。気持ちのいいものである。鏡開きを終えると、その樽酒は参加者に振る舞われた。お祭りなので一杯やることによって景気をつけて、約10kmの道をスタートすることになった。私は樽酒を3杯いただいた。これでエンジンがかかったので絶好調だった。
姫川源流の自然探勝園で早春の花を愛でた
開会式を終えて参加者たちは祭りスタッフの先導で8時半に歩き出した。残雪の北アルプスの山々を眺めながら、日本名水100選に選ばれている姫川源流の自然探勝園でフクジュソウ、カタクリ、ニリンソウ、ミズバショウ、スイセンなどの早春の花を愛でたあと貞麟寺というお寺で休憩した。
春の妖精と呼ばれるカタクリの群生があった
貞麟寺は曹洞宗のお寺で、樹齢400年を超えた境内のしだれ桜が有名とのことで、白馬村の指定天然記念物となっているとのことだが、境内に入っていくとしだれ桜の花は咲いていたものの最終段階だった。この貞麟寺の草地に春の妖精とも呼ばれるピンクのカタクリの群生があった。
お姫様とツーショットの記念写真
さらに庚申塚石仏群などを眺めながら田んぼ道を歩き飯田神明社に寄った。この神社で御神酒の振る舞いがあった。私の侍姿は目立つので、1杯をいただいたあとは仲間で酒の飲めない栄子ちゃんがいただいたのをもらい、私は2杯いただくことになった。ますますエンジンがかかった。おこわ飯も振る舞われており、とても美味かった。開会式の鏡開きの時に一緒に酒樽を割ったお姫様がいたので記念写真を撮った。
黄色のカタクリの花に初めて出会った
ゆっくり先に進むと休憩所の飯盛神社だった。飯盛神社の杉林の中に黄色のカタクリが咲いていた。カタクリは普通はピンクの花を咲かせるのだが、黄色の花を見たのは初めてだった。飯盛神社ではジュースやお茶の接待に加えて、どら焼きが振る舞われていた。甘いものは疲れた身体にいいので美味しかった。
股旅姿の武者も塩の道太鼓を叩いた
また境内で塩の道太鼓が叩かれており、参加者は誰でも変わりばんこで太鼓のリズムに合わせて叩くことができた。私たちのグループでは、妻が最初に飛び入りし、私が2番目、さらに股旅姿の武者も参加して太鼓を叩いた。飯盛神社からは残り1、4kmでゴールである。
全員元気でゴールした
ゴール地点は白馬グリーンスポーツの森に設定されていた。ハイキングは8時半に白馬クロスカントリー競技場を出発し、約10kmの道を歩いて12時35分に到着するようにタイム設定されており、4時間後の12時半からゴール地点で各種イベントが取り行われる計画だった。私たちはゆっくり歩いて12時10分にゴールに着いたので、ほぼスケジュール通りのペースだった。
薫風に泳ぐ鯉のぼりが爽やかだった
今回の白馬村コースは開会式の鏡開きからスタートし、残雪の北アルプスを眺めながら一斉に咲きだした足元の花を眺め、各種の振る舞いをいただき、塩の道太鼓などのイベントにも参加した満足満足のお祭りで、5人の参加者がみんな楽しんでいた。ゴール地点で薫風を受けながら泳ぐ鯉のぼりが爽やかだった。
1日目の夕食、まーちゃんの山菜天ぷらは美味かった
2日目の夕食、岩井シェフの料理
私たちは毎年2泊3日の予定で、海外トレッキングで出会った仲間の別宅に集まり、塩の道祭りに参加している。1日目も2日目も温泉に入り、1泊目の夕食は、まーちゃんが揚げた山菜天ぷらパーティーである。採ってきたばかりの山菜を天ぷらにして食べる美味さは最高である。2日目の夕食は、私がシェフとなって料理を作る。このパターンが定着しているのである。