元気で大きくなれよ〜
お母さんと12羽の子どもたち
私の自宅のそばのグループホームで生活しているおばあさん4人が、トコトコ車に座って田植えの終わった田んぼを見ていた。その光景を見た時に、私はおばあさんたちが何を見ているのか瞬間的に分かった。カルガモの親子に違いないと思ったのである。私の想像は当たった。田んぼの中にカルガモの親子がいたのである。カルガモの親子に出会ったのは1年ぶりのことだった。カルガモの雛を数えると、なんと12羽の子どもたちであった。ビックリするほどの大家族である。
水あびの後は羽づくろい
子どもたちはお母さんの前になり後ろになり水草を食べていた。雛はここ2〜3日に生まれたばかりの大きさだった。お母さんカルガモが水浴びをしだすと、子どもたちも真似をして一斉に水浴びを始めた。なんと愛らしい姿であろうか。水から畔に上がると、すぐに羽づくろいを始めた。雛たちもお母さんのやり方を真似ている。実に愛らしい雛たちだが、昨年の雛たちは全滅したのを思い出した。果たしてこの12羽の子どものうち、何羽が大きく成長できるのだろうか。雛たちにとって危険がいっぱいの自然界で生き抜いていくことは大変なことだと思う。
つぶらな瞳で見つめてきた
巣立ってまもないスズメの雛がチュンチュン鳴いていた。つぶらな瞳で私をジッと見つめていた。雛はまだ自分で餌を捕ることができないため、親が餌を捕ってきて雛に与えている。スズメのように巣の中で育てられる雛は、巣立ってからも一定期間は親から餌をもらう。カルガモやキジなどの野鳥は卵から孵化して間もなく歩きだし、自分で餌を探して食べる。同じ野鳥でも育っていく過程は全く違う。親スズメはあちこちに散らばってしまった雛たちに餌を届けるのに大変である。雛たちはチュンチュン鳴いて自分のいる場所を知らせることができるだけだ。それにしても親が子を育てるのは大変である。
抱卵中のツバメ
ツバメは巣の補修を終えていた。ずいぶんと立派になった巣の中で、1羽のツバメが全く動かないでいた。巣ごもりをしているのは卵を産んで温めているのだろう。その巣の前の電線に1羽のツバメが留まっていた。多分つがいのツバメであろう。
電線で囀るツバメ
ツバメを見ると思い出すのは、中学校の国語の授業で半田先生から教えてもらった「のど赤き
玄鳥ふたつ 屋梁にゐて 足乳根の母は 死にたまふなり」という斎藤茂吉の短歌である。茂吉が死にゆく生みの母、葬儀、母を喪う哀しみを詠んだ短歌は60首を数える。東北への旅の途中で、山形県上山市にある斎藤茂吉記念館を訪ねたのは、40年も昔のことだった。私の父親は23年前に亡くなったが、母親は村一番の長命者となる94歳で元気に生活している。いずれ母親も亡くなる日を迎えるのだが、父親に比べて母親の死を迎えることは、私にとって精神的な打撃が大きいと思う。
ノバラの花が風に揺れていた
ノバラが咲いていた。花びらは5枚である。バラの花の本来の姿である。私たちが花屋や公園などで目にするバラの花は、品種改良を続けた結果、あのような花びらがたくさんついている姿となったのである。サクラ、ウメ、モモ、ナシ、リンゴ、イチゴなども同じバラ科であり、花びらは5枚である。ノバラの花が風に揺れている姿は清楚だ。
畦道で巣材を咥えて飛び立つムクドリ
畔道で巣を作るための材料を口に咥えているムクドリのつがいがいた。巣材を見つけて飛び去った。5月はあちこちで子育て準備と子育て中の野鳥に出会うことができる。
元気に育つ12羽の子ガモとお母さんガモ
初めてカルガモの親子に出会ってから5日後、家庭菜園に野菜の苗を植えたあとでバードウォッチングに出かけた。最初はカルガモの親子の観察・撮影だった。元気な子ガモが田んぼの中を動き回っていた。数を確認すると9羽しかいなかった。残りの3羽はどこに消えたのか?と心配したが、近づく私にお母さんガモが短く警戒の鳴き声を発すると、遠くに離れていた3羽の子ガモが慌てて集まってきて合計12羽となった。子ガモ全員が確認できたので一安心だった。
少し離れた畦道で見守るお父さんガモ
12羽の子ガモの健在を確認できた。子ガモのすぐそばにお母さんガモが付き添い、少し離れた畦道にお父さガモが周りに目を配らせていた。オスメス2羽で子育てをしているようだった。相変わらず子ガモたちは無邪気にお母さんガモの周りを動き回っており、実に微笑ましい姿である。