富士山山麓一周トレッキング・その3
本栖湖→精進湖→西湖→河口湖→富士山駅
風そよぐ河口湖
富士山山麓一周トレッキング150kmも残すところ30kmとなった。今回は3回目として10月27日〜28日の1泊2日の日程で最後の旅をすることにした。私はNTTを退職した後は主夫をしているのだが、それでも結構忙しく18日の幕張町町内家族運動会の一連の活動(準備・当日・後片付け・反省会)も終わったのでスケジュール上の2日間の空きと天気予報を照らし合わせて高速バスの予約と民宿への宿泊予約を入れたのだった。第1回、第2回の時はテントトレッキングだったが、10月下旬ともなると最低気温が低下するので今回は民宿泊まりとしたのである。
8日目、10月27日:月曜日 晴れのち曇り
幕張駅→新宿駅→新宿高速バスターミナル→本栖湖→精進湖→西湖
秋の紅葉シーズンのためなのか新宿バスターミナル8時10分発の河口湖行きバスは臨時バスが4台増発となった。私が乗車したのは2号車の「10D」で窓際の席だった。今日も中国人観光客が多い。トイレ付き高速バスで私が河口湖で下車するまで隣は空席だった。乗車時間2時間弱の車中では古今亭志ん生の『びんぼう自慢』を読んでいた。晩年の5代目古今亭志ん生にインタビューした録音テープから志ん生の一生をまとめた内容で破天荒な生活ぶりが活写されていた。凄い話が次から次に出てくるので時間がアッという間に過ぎていった。
富士急ハイランドから頭に雲を被せた富士山が大きく見えた。河口湖駅で下車し本栖湖行のバスの乗り換え時間で駅中のお土産屋で昼食用の握り飯を購入したがコンビニの倍の値段だった。天気予報は曇りだったが空は青空が拡がり晴れていた。紅葉が随分進んできたのでディバック姿のハイキング客の姿を多く見かける。
今回は前回天候不良のためトレッキングを中止した本栖湖からのスタートだった。1時間歩いて精進湖パノラマ台下に到着した。湖面越しに見える8合目あたりまで雪に覆われた富士山が美しいが、微かな風が湖面に波を立たせているために逆さ富士が見られないのが少し残念だ。富士山の前景にある大室山のなだらかな稜線が微笑ましい。湖畔ではアマチュアカメラマンが三脚を立て真っ赤に紅葉した葉の下で富士山を狙っていたが、冨士の中央部に雲がかかりシャッターチャンスが訪れないようだ。ボート桟橋には釣り人が数人釣り糸を垂れていたが釣果は挙がっていないようだった。私は買ってきた握り飯を出して昼食にした。山梨県産と千葉県産の米をブレンドした握り飯は雄大な富士山がおかずとなり思いのほか美味しかった。
精進湖の西側から北側に回り込みボート釣りの釣り人を見ながら進んでいくが、ボートをよく見ると通常はスクリューと舵がボートの後ろ面に着いているのだが、釣り人のボートは反対の前面についている珍しい形だった。精進湖は富士五湖の中で最も小さい湖である。
精進湖湖畔
精進湖の東側に位置する赤沼から139号線に出て西湖に向かおうと交差点を渡ったところ、山栗のイガが歩道に沢山散らばっていた。よく見ると栗の実も弾けて沢山散らばっている。山栗は小粒だが甘い。早速、拾い集め出した。山栗の木は3本あってまだイガを付けている枝も見受けられた。イガの実が入っているのは靴の裏を使って剥き出した。子どものころ秋になると栗の実を拾いに行ったことを思い出した。10分ほど栗の実を拾っていたが帰宅して数を数えたら130個もあった。お湯でゆがいて毎晩10個ずつ晩酌のツマミになっている。更に歩を進めて野鳥の森公園に立ち寄ると、ここでもアマチュアカメラマンが茅葺き屋根の休憩所越しの富士山と紅葉を狙っていた。
黄色、橙色、赤色に染まった葉が七重八重に重なり青空に映えて美しい景色を眺めながら精進湖から西湖へ向かっていく。右手には雪を冠った富士山が望め、5合目以下の樹林帯は紅葉に染まり黄色や黄土色に変化している。西湖に到着すると精進湖とは違い風が止まっていたので逆さ富士を見ることが出来た。更に1時間歩いてバス停「桑留尾(くわるび)」前の民宿『丸美』に着いた。10月下旬の河口湖地方の最低気温は4℃まで下がるので夏用シュラフでのテント泊は厳しいと判断しての民宿泊である。ヒマラヤに出かける際に使用しているー30℃まで対応可能の冬用シュラフも持っているが、重量は軽いのだが体積が嵩張るためトレッキングには適さない。
西湖の逆さ富士
民宿『丸美』は釣り宿である。予約を入れた時に「釣りですか?」と最初に聞かれたのも当然である。私は釣り旅ではなく、富士山山麓一周を徒歩で回っている旨を伝え1泊2食の予約を行った。宿から湖までは100m位の距離で富士山頂が少し見える場所だった。湖畔は自由キャンプ場になっておりオートキャンプをしている釣り人のテントが数個張られていた。夕食は、南瓜の煮物、生春巻き、ハマチの刺身、おでん、一口カツ、筑前煮、枝豆、焼き鮭、胡麻和えなど12品のおかずが出た。風呂を出た後に既に大瓶ビールを2本飲んでいたが、当然のように熱燗に突入していった。客は私一人である。食堂でテレビを見ながら熱燗をゆっくり飲みながら食事を味わった。
テレビでは御嶽山の噴火から1ヶ月が経ち、3000mの山頂は雪の下だ。今回の噴火は火山専門学者を含めて誰ひとり予測出来なかった突然の噴火だった。事故としかいいようのないものだ。大滝村の慰霊祭が映し出されているが、不明者は来シーズンになっても発見できないかもしれない。亡くなった方は無念だったろうし、不明者の家族は自衛隊員や地元自治体による来春の捜索再開を望むだろうが、事故として諦めることだと思う。しかたないことなのだ。私が当事者なら諦めるだろう。
夕食を終え部屋に戻ると熱燗のコップ酒を3杯飲んで身体は熱くなりダウンを穿いているのだが鼻水が出てくる。関東地方に木枯らし1号が吹くと天気予報は伝えていたが山梨は冷え込んで寒い。明日は快晴だろう。8日目の費用は、交通費、食事代、酒代、宿泊費を合わせて12390円だった。
9日目、10月28日:火曜日 快晴
西湖→河口湖→富士山駅→高速バス→新宿駅→幕張駅
雲ひとつない快晴の下で宿を出発する。民宿の女将さんは私の行先を訊ね、宿の車で富士山駅まで送っていくと言ってくれたが、徒歩で富士山山麓を一周回っている旨を伝え丁重にお断りした。1時間歩くと奥河口湖の長浜に着いた。湖面が青空を映し青く輝いている。楓も黄色・橙色・赤色に染まり実に美しい。長浜トンネルの脇から右にそれ、さくら公園で休憩した。秋桜の花は終わりを告げようとし、色づいた桜の葉にエナガやシジュウカラが囀りながら枝から枝へと渡っていく。水辺では青鷺が羽を休めている。トンビが大空に舞い、ピーヒョロロと聞こえてくる鳴き声が実にのどかだ。
日本の渚100選に選ばれている「留守ヶ岩」という悲恋伝承のある岬に寄った。説明板を読むと、勝山村の若者と大石の娘(おるす)の物語で、夜になると逢引場所として娘が留守ヶ岩で火を焚き、対岸から舟で渡ってくる若者の目印としてきたが、風雨の激しい夜に焚き火が消えてしまい若者は方向を見失い、舟もろとも湖底へ沈んで亡くなってしまった。それを悲しみ娘も後を追った、という悲恋物語が伝わっているとのことだ。それほど広くはない渚だが、そこからの眺めは雄大な富士の裾野を向こうに望み、見渡す限りの湖面は鏡のように静かだった。
河口湖の秋
河口湖自然生活館のトイレを借用したついでに周りを歩いてみるとラベンダー畑が拡がっていた。大きな駐車場があるのでカメラを片手にした観光客が沢山いる。そのまま東に湖畔に沿って遊歩道を歩いて行った。風が出て来たのかススキが風にそよいでいる。秋を感じさせる風景だ。富士山には雲ひとつかかっていない。素晴らしい眺めだ。トレッキングのフィナーレの日に美しい富士の姿が見られて本当にラッキーだと思う。
河口湖温泉の日帰り温泉に入ろうと思い「あかり亭」を訪ねたが営業停止中だった。パンフレットには記載があるので休館日なのだろうか。道路を挟んで反対側の食事処「もみじ亭」は今年の連休に妻とドライブに来た際に昼食を摂った店だった。道案内版を頼りに「西山温泉:麗峰の湯」に向かった。足湯看板の売店の女性に聞くと「営業は2年ほど前に終了し、足湯もシーズンオフで営業は終了した」と、すまなそうに話してくれた。しかたないので河口湖大橋を越えて温泉に入ることにした。
河口湖大橋近くまで来ると新しい観光場所として「河口湖の金色七福神」が次々に出て来た。一つひとつにお参りしスタンプを押していくと、寿老人、布袋尊、弁財天、毘沙門天、大黒天となり、大橋を越したあと恵比寿神にお参りした。結局、福禄寿を除いた六福神にお参りしたわけだが、あとから七福神マップを見ると福禄寿は営業停止中の「あかり亭」の西側に祀られていたのだった。河口湖大橋を渡っていると突然に25年も前に河口湖マラソンを走ったことが思い出された。
12時を過ぎ、以前入浴したことのある河口湖温泉「夢殿」に立ち寄ると、日帰り温泉は9月15日で終了しており近くの「開運の湯」を紹介してもらった。夢殿から徒歩5分ほどでロイヤルホテル内の露天風呂「開運の湯」に着いた。ここも以前富士登山の折りに入浴したことを思い出した。二つの露天風呂と内風呂があり日帰り入浴代金は1000円だった。ゆったりと湯に浸かっている時間に入ってくる入浴客はなく、私一人の貸し切り状態であった。入浴後は食事となるがホテル内のレストランではなく外に出て河口湖畔の「ふなつや」2階のレストランに入った。メニューの中から、ほうとう定食とビールを頼んだ。窓際の席だったので外の駐車場を見渡していると大型バスの観光客が引っ切り無しに道路反対側の土産物屋を兼ねたレストランに入っていく。
河口湖温泉「開運の湯」
ふなつやでの食事を終え富士山駅に歩を進め14時30分に到着した。途中で2度の中断はあったものの延べ9日間で富士山山麓1周トレッキングは完了した。歩きだったため沢山の人との出会いがあり記憶に残る旅となった。9日目の費用は、交通費、食事代、酒代を合わせて6295円だった。