富士山山麓ぐるっつと一周トレッキング・その2

御殿場→表富士グリーンキャンプ場→白糸の滝→田貫湖→本栖湖

 

041-御胎内洞穴

御胎内洞穴前で

 

 4日目、9月16日:火曜日 晴れ

幕張駅→新宿駅→新宿高速バスターミナル→JR御殿場駅→桜公園→富士本屋旅館

 

富士山山麓ぐるっと1150kmトレッキングは天候不順のため御殿場の富士本屋旅館までを第1回目として一時中断としたので、今回は中止した場所からの再スタートである。今回も天候次第だが金曜日か土曜日まで歩けそうだ。新宿駅西口小田急ハルク前から小田急高速バス箱根桃源台行きに乗車しJR御殿場駅で下車。高速バスは実に便利だ。乗り換えなしの2時間弱の乗車時間で到着。今回は1日前に予約を入れておいたので座席はA1番だった。最前列で見晴らしが素晴らしい。足柄あたりからは富士山が頂上から麓まで全て見え、空は夕焼けだったので明日は晴れだろう。素泊まりの旅館のテレビからは北海道大雪山では例年より9日早い初冠雪のニュースが流れている。来週は秋のお彼岸だ。季節は徐々に夏から秋へ、そして冬へと移行していく。

 

今年の夏、NHKテレビで新田次郎原作の『芙蓉の人』が放映された。富士山頂に日本初の私設気象観測所を作り通年観測を続けようとした信念の人である主人公の野中到・千代子夫妻の写真と到の句が写真パネルとなって富士本屋旅館の応接間に掲げられているのだが、投宿している富士本屋旅館は小説の中で「佐藤茶屋」あるいは「與平治茶屋」として度々登場しており、おじいさんの與平治は野中夫妻にとって富士登山をする際の重要な人物として描かれているのだった。前回宿泊した10日前には知らなかったのだが、その後に小説を読み與平治茶屋が富士本屋旅館であることを知ることとなり応接室に写真パネルが掲示されている謎が解けたのである。旅館の近くには野中夫妻の顕彰碑も建てられている。

 

前回宿泊した時のお客は私を含めて2人だったため風呂は小さめだったが、今回は大きめな風呂に男性用の札が掲げられていた。私が風呂に行った時に先客がいたので色々話をすると、その人は旅館からすぐ近くの中央青少年交流の家に林間学校に参加する生徒をバス6台で送って来た運転手だった。運転手とバスガイドが合わせて12人泊まっており、その他にもバス会社関係で6人ほど宿泊しているとのことで、一般の人は泊まっていないとのことだった。御殿場側でも他の登山口と同様に車道が5合目まで延びたので宿泊者としての登山者は殆どいないようだ。それも時代の流れだろう。富士本屋旅館も現在は素泊まり、あるいは朝食付きで営業を続けているが40代と思われる女将さんも気さくでゆったりできる旅館だと思う。だからプロの運転手たちも気楽に利用しているのだと思った。

 

今回のトレッキングは120kmほどの距離ごとにテント泊を前提として計画しており御殿場には中央青少年交流の家がある。中央青少年交流の家は今上天皇の結婚記念に青少年健全育成事業の一環として設立された国立施設で、単独テント泊を申し込んだところ、中央青少年交流の家では団体専門に受付けており単独者は対象外との回答だった。そういう運営規則ならば仕方ないのだが、団体とは2名以上をいうとのことだったので妻との連名で申し込み、当日は2人分の使用料を払った上で妻は急用のために来られなかったと理由をつけようかと思ったがフェアではないので、中央青少年交流の家の近くの富士本屋旅館に宿泊したのだった。4日目の費用は、交通費、食事代、酒代、宿泊費を合わせて8453円だった。

 

5日目、9月17日:水曜日 曇り

富士本屋旅館→桜公園→太郎坊洞門→富士山スカイライン→水ヶ塚公園→国設グリーンキャンプ場

 

 今日の日程は太郎坊洞門までが4時間、グリーンキャンプ場までが4時間で合わせて8時間を見込んでいた。6時に富士本屋旅館を出発する。野中夫妻が歩いた御殿場口登山道を歩いていく。途中のコンビニに寄りおにぎり6個と水2本を買う。自衛隊滝が原駐屯地前で乗用車が停車し、「どこまで歩いて行くの?よかったら乗って行かないか?」と声をかけてくれる人がいた。私は感謝しつつも訳を話して丁重にお断りした。7時からは東富士演習場からの砲弾射撃の訓練が始まり、絶え間なく発射音と着弾音が聞こえてくる。辺りの雑木林は全て立入禁止の立て看板が立てられている。暫く歩いて行くと五本松辺りで車に撥ねられた牡鹿が道路脇に横たわっていた。目立った外傷はなく鼻から少し血が出ている状態だった。眼も開いておりまるで生きているようだった。身体を触るとまだ温かさを感じたが全く動かないので可哀そうだが死んでしまったようだった。頭に角が延び始め、身体には白い斑点模様が拡がっていた。馬返し上で休憩していると折り返してきた静岡県警のミニパトを停車させ、先ほどの牡鹿の状況を説明し対応処理を依頼した。30歳代と思われた眼鏡をかけた警官はお礼を言いつつ対応すると車で降って行ったが、ミニパトは運転手だけだったのでトランクに牡鹿を乗せるのは大変だろうと思った。

 

006-

車に撥ねられ死んでしまった牡鹿

 

 太郎坊洞門に着く前にも軽トラックを運転している方から「車に乗って行かないか?」と声がかかったが、やはり訳を話して丁重にお断りをした。空は歩き始めたころは薄日も射す状態だったがすっかり曇ってしまった。なんとかキャンプ地まで雨が降らないことを願いながら歩いて行く。富士山スカイラインも平日のため車の通行量は少ない。旧須山口登山道の1合目に溶岩遺跡である御胎内祠があるのでスカイラインから離れてお参りに行った。殆どの人が歩かなくなった旧登山道はブナ林の中に静かに延びていた。車道から歩くこと20分で御胎内祠に到着した。入り口には、注連縄が張られ御幣が垂れ下がっていた。洞穴前に鳥居も立っていた。私は頭にヘッドランプを付け洞穴の中に入って行った。洞穴は細長い形をしており、両側から出入りできる構造になっていた。私は鳥居側から入っていったのだが中央に3人の子どもを抱えた石造りの女性像が安置されていた。外に立てられていた説明板によると女性は木花咲姫と3皇子とのことで安産の御利益があるとのことだった。ここにはかつては数軒の家と登山者数を調べた須山口役所があったというが、現在は森閑とした針葉樹の森の中である。

 

 水ヶ塚公園に到着するころには霧が出てき見通しが悪くなってしまった。駐車場から見ることのできる宝永山火口を抱える富士山頂の雄大な南側面の大きな看板が立てられているが、想像するだけで実際には霧の中だった。食堂を兼ねた売店があったので中に入って缶ビールを飲んだ。汗をかいているので喉を通っていくビールが美味い。この公園の脇から整備された現在の須山口登山道が延びているが、既に登山シーズンを終えたので登山道入り口は鎖で封鎖されていた。

 

073-鹿注意

鹿注意の看板は立てられているのだが・・・

 

 私が歩いている富士山スカイラインは太郎坊洞門で御殿場口新5合目方面と別れて標高1400m程のところをほぼ水平に周遊区間として伸び、ガラン沢分岐から登山区間となり2380mの富士宮口5合目まで到達している。私はガラン沢分岐からスカイライン登山区間と別れてグリーンキャンプ場へとまっすぐ向かう。歩きながら道路脇に見える獣道から出て来た多数の鹿の足跡が確認できたが、車道を横切る時に自動車にはねられたのが午前中に出会った牡鹿の死体なのだろう。そういえば1回目のトレッキングでは山中湖から篭坂峠への登り口で鹿の群れが道路を横切っているのに出会ったし、鹿注意の看板標識が道路脇に立っているのに度々出会う。このようなことから推察すると鹿の数も相当数増加していると思われる。

 

 13時30分に国設表富士グリーンキャンプ場に予定通り到着し受付を済ませながら今日の宿泊状況をマリオ髭の管理人に尋ねると、テントは2張りバンガローが1棟だという。15時から温水シャワーが使えるという。空模様があやしかったので芝の広場にテントを張るのではなくブナ林の中に張った。雨が降った場合、沢山生い茂っているブナの葉が雨を集めて小枝に伝え、小枝は大枝に、大枝から幹に伝え、そして地面に流れていく。少雨ならブナの木が雨よけとなりテントに雨は直接降りかかることがないのだ。シャワー室は6室あり綺麗だった。温水シャワーを浴びた後に売店にビールを買いに行くと管理人は外作業中らしく呼び鈴を鳴らしても留守だった。暫く待っていたが帰ってきそうもないので、椅子に腰掛けビールの500ml缶を飲みだす。静かに流れるBGMを聴きながら眼をつむって沈思黙考。こういうゆったりした時間がいいのだ。外では薄日が差して遠くの山が微かに見える。5日目の費用は、食事代、酒代、宿泊代を含めて3160円だった。

 

6日目、9月18日:木曜日 曇り

国設グリーンキャンプ場→天母の湯→音止の滝→白糸の滝→田貫湖キャンプ場

 

 今日は妻・彰子の58歳の誕生日である。5時半に眼を覚まし、テント内を片付け出発準備を整えた後にメールで誕生日おめでとうを送った。小鳥の声が時たま聞こえてくるがテントにはポツリポツリ雨だれの音も聞こえてくる。6時半にキャンプ場を出発したがガスのため視界は50m程だろう。携帯電話でネット接続し富士および河口湖エリアの天気予報を確認するとどちらも今日明日は晴れのち曇りで明後日は崩れるという。15分ほど坂道を下っていくとテント場の管理人が軽トラックで上がってきたのに出会った。そういえば7時からキャンプ場をオープンすると昨日聞いていたことを思い出した。管理人には簡単なお礼の挨拶をして別れた。更に1時間半ほど下っていくと飯盛林道分岐点に「有害鳥獣駆除実施中」の幟旗が立てられていた。人間にとっての有害鳥獣とは鹿や猪や熊を差し、それらの動物達を駆除対象としているものなのだろうと思ったが、自然界のバランスが崩れているのだろうと思う。

 

169-白糸の滝

屏風のような白糸の滝

 

 九十九折りの道を下りきり、NPO富士山自然の森づくりの苗床や長崎被爆2世の柿の木が植樹されている「かえでの里」で休憩しながら天母の湯までやってくると丁度10時のオープン時刻となったので410円の入湯料を払って入ってみた。パンフレットから露天風呂に期待を寄せていたのだが温泉質は癖もなくサラッとしていて気持ちがいいのだが広さは期待外れだった。内風呂に2名、外の露天風呂に4名の入浴客がゆったりと温泉を楽しんでいた。湯上り後は缶ビールにかき揚げそばを頼んで一休憩後に白糸の滝に向かって歩き出した。

 

 天母の湯から2時間歩いて白糸の滝に到着した。私は白糸の滝を初めて訪れたのである。白糸の滝の手前にある音止の滝の方が水量も多く轟音を轟かせて落ちていく姿は圧巻だった。それにしても改めて自然の仕組みである富士山山麓の湧き水とは凄いものだ。白糸の滝は半円形の崖に幾筋もの滝がかかり屏風のように感じられた。重いザックを滝壺まで担いで行くのは難渋なので途中の見晴らし台に置いて下まで降って行った。滝壺では観光客が写真を撮り合っていたので私も家族連れのカメラのシャッターを押してやり、逆に押してもらった。桃色のハナカイドウが満開に咲いていたのが印象的だった。

 

190-田貫湖キャンプ場

田貫湖キャンプ場で一杯

 

 田貫湖キャンプ場には15時に到着した。キャンプ場受付係の方は私よりも高齢と思われる実直そうな男性だった。受付を済ませテント場に行くと芝生の広々とした気持ちのいい場所だった。私は一番手前のAサイトにテントを張った。隣は10mほど離れて若いカップルがテントを張っており、他に3つのテントや―プが遠くに張られていた。9月中旬の平日なのでテント数も少なく静かで快適だ。夕方近くになるとボート桟橋から釣り糸を垂れていた釣り人も次々に納竿し帰って行った。私は対岸の山陰が静かな湖面に映るのを眺めながら受付で買ってきた缶ビールを飲み、すぐ目の前の湖岸でマガモが4羽やすんでいる。6日目の費用は、入湯料、食事代、酒代、宿泊代を含めて5320円だった。

 

7日目、9月19日:金曜日 曇り

田貫湖キャンプ場→朝霧高原→本栖湖→河口湖駅→高速バス→新宿駅西口→新宿駅→幕張駅

 

5時半に起床すると全身が筋肉痛だ。風邪気味なのか身体の芯が熱く感じる。夜半に雨がだいぶ降ったようだった。テントを片付け、さぁ出発しようと思っていたら「よろしかったら、これをどうぞ」と小ぶりながら真っ赤に色づいたりんごを差し出してきたのは10m程離れたところにテントを張っていた若いカップルの男性だった。思いがけないプレゼントに「遠慮なくいただきます」と礼を言ってりんごを受け取った。立ち話だったが、現在自分が冨士山山麓を時計回りにぐるっと150kmをテント泊で回っていることを告げ、あと残りは50kmになっていることや明日は天候が崩れてくる予報なので今日は本栖湖まで歩き今回の日程を切り上げることにしたことなども話した。今日は3日ぶりに富士山が美しい姿を現していることなども伝えると青年は“ラッキー”と喜んでいた。なぜ私にりんごをくれたのかは聞かなかったが気持ちのいい青年だった。

 

今日は右側に富士山を眺めながら静岡県側の朝霧高原を突っ切って山梨県側に入り本栖湖までの変化のあまりないコースだ。コスモスが綺麗に咲く季節となっており可愛らしいピンクの花が風に揺れているのがあちこちに見られる。コスモスは可愛らしい花だが、その可憐な弱弱しさとは違いどのようなところでも成長する逞しい花でもある。標高950mにある朝霧高原の「道の駅あさぎり」に立ち寄った。テント場を出発する前におにぎり2個は食べたが、温かいものを食べたかったのでレストランに入って豚丼定食を頼んだ。甘く味付けされ、ご飯も大盛りだったのでボリュームが多く全て食べ終わるのに一苦労だった。妻へのお土産に「富士山のおっぱい」という飲むヨーグルトを買ってザックに入れた。お腹に温かいものが入ったので活力が身体全体にみなぎり、荷物を背負いながらも1時間4kmのペースで歩くことが出来るだろう。

 

朝霧高原はハングライダーのメッカだという。歩いていると前方左側の山の中腹に緑の斜面が遠望できる。最初は何のための斜面なのか分からなかったが、その斜面が南風を受けながらハングライダーで飛び立つ滑走面であることが分かってきた。やがて芝を張った小山のような練習場も登場してきた。1日体験コースの看板も見受けられる。朝霧高原一帯は富士山にぶつかった駿河湾からの南風がハングライダーの風として丁度いいのだそうだ。山の方に目を向けると気持ちよさそうに飛んでいる3機のハングライダーが眼にとまった。大空を鳥の眼を持ち飛ぶことが出来たなら人生観が変わるだろうと思う。

 

193-田貫湖

田貫湖キャンプ場から富士山を望む

 

富士山をぐるっと回って感じることは、南側は植林の手が入った銘木・富士桧の林が整然と拡がり、西側は朝霧高原の酪農農家と牧草地が広がる開放的な雰囲気があり、北側は人手の入らない痩せた大地と青木が原樹海に代表される樹林帯が拡がっている。富士山頂で一番高いのは剣が峰の3776mだが、西側の朝霧高原側からは右側に位置し、反対の東側の山中湖側からは剣が峰は左側に見える。当たり前のことだが同じ道でも車で走り去るのに比べて歩くことにより細部に注意が行くのが分かるのである。今回は本栖湖まで歩き、残りは30kmとなった。天候の悪化が予想されるため今回は本栖湖で打ち切り、次回は本栖湖から再スタートして12日でスタート地点だった富士急行線の富士山駅まで歩こうと思っている。7日目の費用は、食事代、酒代、交通費、お土産代を含めて5843円だった。

 

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