永遠のゼロ

 

筑波海軍航空隊記念館2階のイベントブースに貼られていた映画ポスター

 

 昨年の暮れに映画『永遠のゼロ』が封切られた。NHK経営委員になり、あちこちでの発言が物議をかもしている百田尚樹の原作を映画化したもので講談社文庫版は500万部を超える大ベストセラー作品である。内容は主人公の青年が祖父の青春時代であった第2次世界大戦末期のことを調べるうちに特攻隊に行きつく。その特攻隊隊員であった祖父と教官との人間関係が意外な展開を見せ、教官こそが母の実の父親であり、という中で戦争に反対しつつも特攻隊教官として生徒を一人前にすれば結果的に部下は戦地に赴き、出撃すれば生存率ゼロの特攻隊員として沖縄の海に消えていく矛盾に悩み、最後は部下に妻子のことを頼んで教官自らが特攻に志願し南海に消えていった。日本の敗戦後、後を託された特攻隊員であった部下が祖母を訪ね、紆余曲折のあと祖母と結婚し、それが祖父であった、という物語なのだが、やはりこの中でも矛盾を抱えつつも日本国のために死んでいった特攻隊員が描かれている。

 

 映画では茨城県笠間市友部に現存する筑波海軍航空隊記念館が海軍特別攻撃隊隊員の訓練施設、司令部、病院、などの撮影場所として使用された。その記念館が映画『永遠のゼロ』公開を記念して期間限定で施設の初公開をしているので幕張中学校区青少年育成委員会バス研修会の見学地として出かけた。青少年育成委員会は千葉市立の55中学校区ごとに作られており、メンバーは地域自治会役員、小中学校教職員、PTA役員、民生委員、児童委員、子ども会役員、スポーツ推進委員などで構成され、1中学校区に60人〜90人程度の人たちが活動している。私が青少年育成委員会のバス旅行に参加するのは息子の大が中学3年の時にPTA会長をしていたとき以来なので約10年ぶりで、今回はスポーツ推進委員という立場で参加した。

 

 私は『永遠のゼロ』の小説を読んでおらず映画だけを見たのだが、原作者の百田尚樹は戦争を肯定したものではなく特攻を断固否定し特攻隊員を美化したものではなく戦争を風化させず生きることの意味を問うた、と述べているが、大ベストセラーとなってはいるがあくまでもフィクションであり、実在の人物ドキュメンタリーではないため、有無を言わせない暗黒の時代背景を無視し、物語としては結果的に特攻隊員の美化に終わってしまっていると感じざるを得ない。国を信じ尊い命を捧げ南海に散って行った特攻隊員は実際に数多くいたであろうし、そういう人たちには辛いと思うが、それは特攻隊員たちを美化するのは特攻隊を描く映画全てに言えることだと思う。

 

話は変わるが、私の親父は陸軍特別幹部候補生として茨城県水戸にあった陸軍航空通信学校第2中隊第2班に所属する陸軍伍長として21歳で敗戦を迎えたのだが、生前中は戦争体験を殆ど話さなかった。

 

水戸偕楽園での記念撮影(親父は前列左から5人目)

 

 今、特別機密保護法、憲法を解釈変更して集団的自衛権行使は合憲、などという流れの中で過去からの教訓を個人個人がどうとらえるのかが問われている時代になっていると思う。

 

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