ダイヤモンド富士の撮影

 

2月20日、幕張の浜からのダイヤモンド富士

 

 『千葉市政だより』2月号に「冬のダイヤモンド富士を見よう」という記事が掲載された。その内容は、ダイヤモンド富士は富士山頂に重なった太陽がダイヤのように美しく輝く現象で、市内でも2月と10月に海越しのダイヤモンド富士を鑑賞する機会がある、というものだった。記事は更に、幕張の浜、検見川の浜、いなげの浜、それぞれでのダイヤモンド富士の見頃を伝えていた。

 

 幕張の浜の見頃は以下のように記されていた。

18日(木曜日)17時16分 左ダイヤ

19日(金曜日)17時17分 テッペン

20日(土曜日)17時18分 テッペン・コロコロ

というものだった。私は天候が良ければ出かけてみようと思った。もし、幕張の浜での鑑賞日時が天候不順の場合は、検見川の浜、いなげの浜、に出かけようと考えた。

 

2月20日、風が強く、海は荒れていた

 

2月19日(金曜日)

朝から雲ひとつない快晴だった。15時を過ぎると風も強くなってきた。風が強いと靄を飛ばしてくれるので絶好の撮影になるだろうと期待した。自宅を16時に出た。自転車に乗り、幕張の浜に着いたのが16時34分だった。『千葉市政だより』に記載された幕張の浜でダイヤモンド富士がテッペンに見える日時を選んだのだった。到着した40分後にダイヤモンド富士が見られるので、気分は高まっていた。

 

2月19日、幕張の浜からの夕日

 

風が強く沖の方では三角波が立っていた。雲ひとつなく晴れあがっているが、西日の関係で富士山は薄っすらとしか見えなかった。東側の房総半島方面はくっきり見えていた。工場地帯の煙突から吐き出されている煙がほぼ90度に曲がっていた。やがて富士山の姿も薄黒くなり秀麗な姿が浮かび上がってくるだろうと思った。

 

2月19日、幕張の浜からの左ダイヤモンド富士(左側)

 

徐々に太陽が富士山の近くに降りていくように感じるが、太陽が眩しすぎて肉眼ではよく分からなかった。風は相変わらず強く、セグロカモメが強風にあおられていた。スカイツリーも海ほたるもはっきり見えていた。ダイヤモンド富士を見たり、撮影しようとする人たちが徐々に集まってきていた。太陽が富士山にかかっているように感じたのでシャッターを押した。太陽の光が弱くなるのに反比例し、富士山の姿が薄黒く浮かび上がってきたのだった。しかし、ダイヤモンド富士のテッペンの姿は、『千葉市政だより』の記載に反して2月19日ではなかった。19日は左ダイヤだったのである。予想は1日ずれていたのだ。明日20日の再挑戦となった。カメラの設定は、ISO速度:ISO-500、露出時間:1/500秒、焦点距離:200mmで撮影した。

 

2月19日、幕張の浜からの左ダイヤモンド富士

 

2月20日(土曜日)

 20日も朝から雲ひとつない快晴だった。しかし、天気予報は日中の気温が4月中旬並みの18℃ほどに上がることと、夕方から所によっては30mの強風が吹くことを知らせていた。強風は問題ないのだが、気温上昇による靄の発生が問題である。霞が発生したようになり富士山が見えなくなることを心配した。天気予報通りに15時頃から風が強くなりだした。昨日同様に自転車で幕張の浜に向かった。幕張の浜に行くまでは富士山の状況は分からなかった。

 

2月20日、幕張の海はクールベの絵のようだった

 

 幕張の浜に着いたのは17時45分だった。花見川河口に架かる美浜大橋の橋脚に打ち寄せて砕ける波が風の強さを表していた。時刻は日没の30分前だった。空は快晴で雲ひとつなく太陽は輝いているのだが、富士山は靄に隠されて姿を現していなかった。海ほたるは見えず、スカイツリーも霞んでいた。昨日のようなダイヤモンド富士は見られないだろうと思った。風は強く波は高かった。打ち寄せる波を見ていると、フランスの写実主義の画家だったギュスターヴ・クールベが好んで描いた『波』を思い浮かべた。

 

2月20日、気温が高く靄がかかっていた

 

 土曜日のためか、幕張の浜に集まってきた人の数は昨日よりも多かった。富士山は見えなかったが、海上を包んでいる靄が橙色に染まり夕陽は美しかった。17時18分頃から富士山に夕陽がかかりだした。徐々に太陽が富士山の向こう側に沈んでいった。今日は富士山がはっきり見えなかったが、太陽はテッペンの真ん中ではなく、少し左に寄っていた。風が強すぎてカメラが揺れた。流木に座り、膝と肘と額でカメラを固定しながら、風と風との合間にシャッターを押した。明日も晴れの予報が出ている。再再度の挑戦をしてみよう。

 

2月20日、幕張の浜からのダイヤモンド富士

 

2月21日(日曜日)

 3度目のダイヤモンド富士撮影への挑戦である。天気予報によれば今日も快晴で、日中の気温は昨日よりも更にあがり、20℃の予報が出ていた。幕張の浜に着いたが海上には靄が出ており、富士山の姿は全く見えない。東側の房総半島の工業地帯の煙突も白く霞んでいる。スカイツリーや海ほたるも全く見えない。昨日よりも撮影条件は更に悪くなっているように感じた。ダイヤモンド富士の撮影は無理かもしれないと思った。

 

稲毛ヨットハーバーから10艇ほどが出ていた

 

今日は日曜日なので稲毛ヨットハーバーからたくさんのヨットが出ていた。白い帆が10艇ほど海に浮かび、スタンディング・サーファーの数も多かった。海鳥たちは沖に消え、岸から見える数は少なかった。幕張の浜は閑散としていた。『千葉市政だより』で今日のダイヤモンド富士は、検見川の浜が見頃という掲載だったため、人出は検見川の浜に行ったのであろうと思った。昨日の富士山への太陽の入りから考えて、昨日と同じ場所で撮影してみることにした。

 

2月21日、幕張の浜からのダイヤモンド富士(中央)

 

17時10分、あと8分でダイヤモンド富士が見られるはずだ。その時、私の正面におばさんが座った。私はおばさんに「すいません。3mほど横にずれて下さい」とお願いした。おばさんは横にずれてくれた。今日の人出は少ないと感じていたが、ダイヤモンド富士が予想される時刻になると、昨日一昨日よりも多くの人が集まって来た。

 

2月21日、幕張の浜からのダイヤモンド富士

 

3日目の幕張の浜での撮影だった。富士山に夕陽がかかり始めた時は真ん中だったが、時の経過とともに徐々に右側にずれていった。ダイヤモンド富士といわれる光景になった時には右側だった。撮影位置の問題だと思った。私がいた位置よりも300m〜500mほど東側だったら、太陽が富士山頂の真ん中にあり、半分隠れるような状態の素晴らしいダイヤモンド富士になるだろう。富士山山頂に太陽がかかり始めてから完全に消えるまでは2分間なので、その間の移動は無理だから撮影位置の選定は経験によるのだろうと思った。

 

2月21日、幕張の浜からのダイヤモンド富士(右側)

 

3日目の2月21日の現象について考えてみると、最初太陽は富士山山頂の真ん中にあった。時の経過とともに右側稜線を下がっていった。1日目2日目も同じように右斜め下方向に移動する現象が起きていたのだが、富士山の山体に隠れてしまい実際には見えないのだ。3日目についてはコロコロと稜線を転がるような現象として現れてきたが、それが、『千葉市政だより』で書かれていた「テッペン・コロコロ」の意味だと気がついた。広報の見頃よりも1日ずれていたおかげで、私は左側、中央、右側の3種類のダイヤモンド富士を見ることができたのである。

 

2月21日、幕張の浜からのダイヤモンド富士

 

今日で3日間にわたっての幕張の浜からのダイヤモンド富士の撮影は終わった。2月中旬としては暖かい日が続いたので、海上に靄が発生して富士山の姿がはっきりと見えなかったのは残念だったが、撮影のイメージは掴めた。今回は初めてのダイヤモンド富士の撮影だったが、撮影位置の確認も出来たので、次回はダイヤモンド富士のイメージ通りの写真が撮れると思う。

 

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