大、高校卒業おめでとう
クラス代表で卒業証書を受け取った
3月8日、大の高校卒業式の朝は雲ひとつなく晴れ上がり清々しい朝でした。私も夫も大の記念日のために職場から休暇をもらい一緒に卒業式に参加することにしていました。大は一足先に学校に向かいました。
快晴なだけに気温は冷え込み、卒業式が行われる体育館の温度が心配でしたが、ボイラーから温風が吹き込まれ温かくなっていました。私たちが体育館に入った頃は右側の保護者席はほぼ埋まっていましたが、後ろの席はがら空き状態でしたから生徒達が入場してくる中央通路側の席に座りました。
10時から卒業式が始まりました。不思議なことに突然、3年前の同じ体育館で行われた入学式のことが思い出されました。あれからもう3年の月日が経ったのでした。卒業式はシンプルに粛々と進行して行きました。卒業証授与では3年6組を代表して大が壇上に上がり福田校長から卒業証書を渡され「おめでとう」の祝福を受けました。背筋を伸ばしなかなかかっこいいキビキビした動作でした。式が終った後、担任の永島先生から各クラス8人の代表の中で大の姿が一番綺麗だったと褒められたとのことです。息子ながらスッキリした姿でした。
大の高校3年間にはいろいろなことがありました。
1年生の時は愛と同じように弓道部に入って笹本先生の指導の下で一生懸命に部活動に参加していました。なかなかセンスが良かったようで学校を代表して大会にも出場していましたが、1年生の冬にボクシングをやるために退部してしまいました。それからはボクシング漬けの毎日でした。
3年生の5月にボクシングのプロライセンスを取得するために学校を休むまでは、1年生・2年生の2年間は学校を1日も休まず、遅刻早退もしない皆勤賞でした。1年生の時の担任の後藤先生の「3年間の高校生活の中でこれだけは他人に誇れるという何かを自分で見つけ出し実行してください」という入学した時の言葉に「自分は、勉強はあまり出来ないけれど3年間学校を休まないで皆勤賞を取る」という意思のもとの行動でした。
ボクシングを始めると学校から家に帰ると少し休んで自転車でジムに月曜日から土曜日まで週6日間の練習に出かけて行きます。ジムに入りたての頃はスパーリングで打たれて毎日のように鼻血を出していました。レーザーで毛細血管を焼ききる手術をしたのもその頃のことでした。それからは鼻血もあまりでなくなったようで話題にも上らなくなりました。練習が終わると私が車でジムの近くまで迎えに行きながら、その日のことや学校での出来事を話しながら大が何を考えて何を悩んでいるのかを私なりに理解しようと思いました。大はやがて私たちのところから巣立って行きますが、それまでのうちで私は母親としてやってあげられるものは全てやってあげようと思ったのです。
柏井の森には辛夷の花が咲いていました