大、23才の君へ

 

三迫ジムの仲間とともに朝練習

 

 大、23才の誕生日、おめでとう。

 

 君の22才から23才までの1年間は最悪の年でした。

昨年、3月11日、東日本大震災が発生した日ですが、この日に君は第11戦を後楽園ホールで戦う予定でしたが、試合前のスパーリング練習によって鼻骨粉砕骨折・手術により試合出場を中止しました。その後、三谷ジム会長との信頼感が崩れ、福本、鬼ヶ島、両選手と共にジムを離れました。三迫ジムへの移籍が三谷ジム会長の優柔不断の態度により進展せず東京地方裁判所に裁判を起こしましたが、裁判官は日本ボクシング界全体への影響を考慮し選手達の希望通りの仮処分決定をおろしませんでした。

 

担当弁護士は三谷ジム会長が要求している「3選手は移籍金一人200万円を支払う」という条件で示談を進めてきました。この移籍金額は日本チャンピオンクラスでも50万円が相場ですからボクシング業界でも過去に例のない高額のものです。それを移籍受け入れ先ジムが支払うのではなく選手自身に求めたのです。これを認めない限り3選手はボクシングを続けることができない状態でした。全く卑劣な態度です。

 

三谷会長はネットに父さんや母さんの名前も実名でデッチ上げの書き込みを氾濫させ、3選手の三迫ジムへの移籍が壊れるように画策しながら、三谷ジムと三迫ジム同士の移籍の話し合いには応じず、選手には法外の移籍金を要求する、という人間として信じられない対応を取り続けました。父さんは62年の人生において、三谷会長ほど豹変した人間に出会ったのは初めてでした。精神がとても卑しい人間だと思いました。

 

 君は、このままボクシングを続けるのか、それともボクシングを辞めて中華料理の世界に進んでいくのか、の決定を出さなければなりませんでした。君の出した結論は、今、ボクシングをやめたら将来きっと悔いが残るのでボクシングを続けたいから200万円を貸して欲しい。そのお金は働いて必ず返すから、というものでした。父さんは君の出した結論を尊重し、移籍金としての200万円を君に渡しました。

 

 その金額を弁護士立会いのもとに三谷会長に渡し、三谷ジムから離れ三迫ジムへと移籍がなったのが昨年10月下旬でした。三谷ジムを出てから6ヶ月が経っていました。6ヶ月のブランクは、肉体的にも精神的にも厳しく選手生命が短いボクシングというスポーツにおいて決定的にマイナスです。君にとっては好きなボクシングを思い切りできなかった苦しい時期だったと思いますが、不満を言うこともなく黙々と自主練習を続けていました。この時期、君が精神的に凄く成長したことを父さんは感じました。

 

 君は三迫ジムへ移ってすぐにジム近くのアパートに引っ越しました。BSアンテナを設置しWOWOWで「世界プロボクシング」放映を見る契約も終了しました。今では、月曜日、水曜日、木曜日、土曜日は池袋のラーメン屋でアルバイトをしながらボクシングを中心とした生活をしています。

 

 君は三迫ジムへ移籍でき、雑用に煩わせられた以前のジム生活からボクシングだけができる現在の生活を喜んでいます。また、自分のボクシングの現状を、自分が目指そうとするボクシングの入口がやっと見えてきた段階で、まだボクシングの入口にたどり着いていない、と言っています。君は17才からボクシングを始め5年間経過しましたが、やっとボクシングというスポーツの入口が見えてきたという言葉に、父さんは少なからずビックリしました。これから君は自分自身で考えながら自分の目指すボクシングに向かって進んでいくのでしょう。父さんには判らない世界ですが、君の行動はこれからも見守っていこうと思っています。

 

これで父さんからの23通目の手紙を終わりにします。

 

                             2012年2月7日

 

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