18才の自立

 

リング上から観客に挨拶

 

 大、19才の誕生日おめでとう。


 この1年間は君にとって様々な出来事がありました。3月に千葉県立柏井高等学校を卒業しました。雲ひとつない青空の下での卒業式には父さんと母さんが揃って出席し君の卒業を祝いました。君はクラス代表として校長先生から卒業証書を受取りました。中々カッコいい晴れ姿でした。

 4月には中華料理のコックになる希望を持って千葉調理師専門学校に進みました。父さんは、大学に入学し広い知識を学ぶと同時に外国旅行をして見識を深めた後に調理師専門学校に入学したほうが料理の幅が広がっていいのではないか、とアドバイスしましたが、君は時間がもったいないからと専門学校を選び自分の進みたい道を自分で決めました。専門学校の入学式には母さんが保育所の仕事の関係で休みは取れませんでしたから父さんだけが出席しました。君は新入生を代表して誓いの言葉を宣誓しました。中々落ち着いた態度で良かったです。

 君は専門学校生になると同時に家を出て三谷スポーツジムの合宿所に入寮しました。専門学校生と入寮というふたつの新しい世界が君の周りに一度に現れました。その新しい環境の中で君は君なりに考えながら生活をしています。親元を離れるということは自立という面から考えていいことだ、と父さんは思います。親元を離れたのは昨年の春、君は18才でした。

 父さんも家を出たのは君と同じ18才の春でした。当時の日本電信電話公社に入社し神奈川県相模原市で同期入社の仲間と6畳のアパートを借りて3人で共同生活を始めたのです。自分で働いた賃金からアパート代を支払い、自炊をしながらの生活でした。同期入社の仲間がいるせいなのか、親元を離れたという開放感のせいなのか、寂しさはありませんでした。それから40年の歳月が経過しますが、その中で一つひとつの様々な体験を通して自分自身の生き方を模索してきたのです。その過程は働くことを通して両親からの経済的な自立と精神面の自立でした。

 大は学生ですから働く結果としての経済的な自立はまだ先のこととなりますが、ボクシングジムへの入寮を通して、他人の飯を食べ共同生活を通すなかから現状は精神的な自立過程にあると思います。様々な実体験や疑似体験を通して物事を自分自身の脳で考えることにより目の前で起こっている事象を客観的に判断できる結果、精神の自立が保証されると思うのです。大切なことは自分自身の頭で考えることです。そのことを通してのみ精神の自立が可能となってきます。

第4戦で1ラウンドTKO勝利


 ボクシングのほうは3月のプロ第2戦を判定勝ちに収め、6月の第3戦はTKO勝利し、12月の第4戦もTKO勝利を収めました。君は6月の3勝目を上げたあとで、「2戦目までは不安だったけれど、3つ勝ったことでやっとプロでやっていけるのかな、という気持ちが出てきた」と言っていました。父さんも順調に進んでいると思います。そのなかで9月の試合を腰痛で延期しましたが、幸いにも近くの整骨院で治療し完治しました。腰痛の痛みが走るということは外から判る外傷と違って周りの人には中々理解してもらえません。父さんも高校でラグビーをしていたときに酷い腰痛にかかって整骨院に通った経験がありましたから痛みや辛さは理解できました。


 君はいよいよプロデビュー4連勝を引っ下げて2008年の新人王戦へ参戦します。2月にエントリーし、4月からトーナメント戦が開始され、11月の東日本新人王決勝戦、12月の全国新人王決勝戦への戦いがスタートします。君はスーパーフェザー級のエントリーになるとのことですが、日本のボクシング界においては日本人の体格の関係でバンタム級やフェザー級が最も選手層が厚くライバルが多い階級です。その階級を勝ち抜くのは厳しいことですが、フェアプレー精神に則り、君なりに努力し考えるボクシングをして下さい。考えないボクシングは決して強くなりません。

 父さんは昨年、後楽園ホールで4回戦の試合を約80試合ほど観戦しました。その中で君のボクシングスタイルはアウトボクシングとして整い、とても綺麗です。父さんがビックリしたのは君のデビュー戦の応援で後楽園ホールに入った時でした。試合前のリングの上でシャドーボクシングをしている選手が綺麗な型だなぁと思い、よくよく見るとその選手が君だったのです。父さんはその時、初めて君のボクシングの型を見たのでした。4回戦ボーイで君のように綺麗なスタイルの選手は他に見ません。これからも精進し、「打つけれど打たれない選手」を目指して自分自身の力がどこまで通用するのか挑戦してください。父さんは見守っています。

 これで父さんからの19通目の手紙を終わりにします。

 

                                          2008年2月7日

 

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