17才の君へ

 

17才の誕生会

 

大、17才の誕生日、おめでとう。

「俺、ボクシングやろうと思うので、このジム入会届けに署名して・・」
「ん?? ボクシング??」
「なんでまた?」

1年前の2月のことでした。
このようにして君は『三谷大和スポーツ・ジム』に通いだしました。

父さんは最初、君がボクシングをするのに反対でした。理由はボクシングはスポーツの中で最も危険なスポーツだからです。殴られることによる身体へのダメージが非常に大きいからです。特に頭へのダメージは計り知れません。
父さんが若い頃に偉大な世界ヘビー級チャンピオンだったカシアスクレイはパンチドランカーになり日常生活もままなりませんし、毎年、事故という不幸な形で亡くなる選手がいます。死因の殆んどは脳に対するダメージです。

君がボクシングを始めようと思った契機は漫画『はじめの一歩』を読んでボクシングに興味を持ったとのことです。君は小学校5年から空手を6年間習い黒帯になりましたが、空手という格闘技に対する自己自身の中での不完全燃焼感がどうしても拭えない、とかねがね漏らしていました。その渇望感は学校のクラブ活動としての弓道でも満足感は得られませんでした。弓道は静的スポーツであり、どうしても不完全燃焼になっていたようでした。そこで君は君が通っている高校の近くにある『三谷大和スポーツ・ジム』を探し出し、さっさと自分で入会を決めてから父さんに入会届けに署名をして欲しい、と言ってきたわけでした。

父さんはインターネットで『三谷大和スポーツ・ジム』を調べてみました。会長をしている三谷大和という人は高校インターハイ優勝、早稲田大学に進んだ後、4年間で3回の大学選手権優勝、国民体育大会優勝、卒業後プロデビューし世界1位ランキングでタイトルマッチに2回挑戦し2回とも判定で惜敗し、選手生活を止めボクシング選手を育成する側に回ったとのことでした。現役選手時代はとにかくスピード溢れる選手だったとのことです。


そのジムに君は入会し月曜日から土曜日まで毎日学校帰りに2時間ほどトレーニングを続けています。最初の3ヶ月ほどは部活の弓道とボクシングの2つを同時に行っていましたが、ボクシングの練習が厳しく筋肉痛で弓道をやっても力が入らない状態が続き、自分で2つを続けることは無理と判断し、弓道部に退部届けを出しました。それからはボクシング一直線の生活をしています。

どちらかというと丸くポッチャリしていた君の体型は脂肪分が削ぎ落とされ、筋肉が浮かび上がる体型へと変化し、顔つきも顎のとがった精悍なものに変ってきました。変れば変るものです。1ヶ月に1週間くらい朝練習が予定されている時は毎朝5時半には出かけていって、そのまま練習後は高校に出ます。夕方の練習は毎日3時間に増え練習内容も変化し、スパーリングが多いので鼻を折って鼻血が止まらなかったとか、ボディを決められ初めてダウンしたとか、話していますが、練習が終わったあとの爽快感がたまらないと言っています。

君はプロライセンスを取得すると言っています。ライセンス取得には年令制限があり17才で受験できます。2月7日で17才になった君は5月にプロライセンスを受験する予定とのことです。プロライセンス受験時に対戦相手に対して圧倒的な大差で勝つことが必要なのだと言っています。

君は、自分の力がどのくらいのものなのか自分の限界までやる、と言っています。自分が納得するまで、とことんやって欲しいと父さんは思います。昔から「攻撃は最大の防御なり」という言葉がありますが、ボクシングの場合は打たれ強いというのは自慢にはならないと思います。父さんが若かった頃に一世を風靡した漫画『あしたのジョー』は殴られ、殴られ、ダウンしたあと奇跡的に復活し、相手をドラマチックにノックアウトする場面が多かったのですが、それはフィクションの世界であって、ボクシングの場合、打たれないようにディフェンスをしっかりすることが最も重要であることを肝に銘じて欲しいと思います。

また、ボクシングで食べていける人間はごく少数です。競技の性格上、野球などに比べると選手生命も短いし、万が一、世界チャンピオンになってもボクシングだけでは食べていけないでしょう。そのことは生活面の重要課題として考えなければならない、と父さんは思います。

君は早くから大学には行かず調理師専門学校に通って料理人になると言っていました。この方向もボクシングが君の生活の重要部分を占めるようになり、どうなっていくかは今のところ定かでありません。ひとつだけ言えることは今最大の興味を持っているボクシングに全力を注ぎ込み中途半端なことはしないことです。

父さんも母さんも君を応援しますから自分の思う通りに信じる道に突き進んでください。
これで父さんからの17通目の手紙を終わりにします。

                                   2006年2月7日

 

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