大、15才の君へ

 

 

 大、15才の誕生日おめでとう。

もうすぐ高校入試です。父さんとしては頑張ってください、としか言いようがありません。

昨年の夏休みが終わった直後、君と次のようなやりとりがありました。

君は中学3年生で高校受験生ですが、一向に勉強に熱を入れて取り組まず「プレステ2」でサッカーやプロレスのゲームばかりやっているので父さんは業を煮やして君に対して「ゲーム機は片付ける」と言いつけたときの君の反撃でした。

 

 「ボクは父さんや母さんが考えているほどバカじゃあない! やることはちゃんとやってるし、塾だってキチンと行って宿題だってやっている。ゲームで気晴らしでもしないとおかしくなっちゃう。ゲームは気晴らしなんだ」

 「それにしてもズーッとやっているじゃあないか。やるのなら1時間なりの時間を決めてやればいいだろう。長くやり過ぎてるじゃあないか! 何を考えてんだ!」

「わかった。これから時間を決めてやる」

 

どこの家庭でも起こっているであろう受験生の子どもを持つ親子の言い合いであった。その後も君がゲームをやるスタンスは変わらず、いよいよ高校受験の本番を迎えた。そのような中でも毎週火曜日、金曜日、日曜日の3日は少林寺流錬心館の空手の練習に出かけていく。君は全くマイペースである。

 

 君は昨年12月7日に行われた年1回の錬心館の昇級・昇段試験にチャレンジし初段になりました。小学校5年生のときに入門し、それから殆ど練習を休まず各大会に出場しながら身体を鍛え、技を磨き、精神力を鍛え、ようやく5年目にして黒帯になったわけです。

 父さんは昨年9月に船橋で開かれた『少林寺流練心館千葉東葛地区本部30周年記念大会』で君が試合をしている姿を久しぶりに見ましたが、君の姿は腰が据わり声も野太くなり以前とは見違えるほど成長していたのでビックリしました。

 君は空手有段者となりましたが、初段になったことでもう一度「身体と精神を鍛え社会に役立つ人となる」という錬心館空手を学ぶことの意義を再確認して欲しいと思います。

イラクで銃弾に倒れた奥克彦外交官は君が学ぶ少林寺流練心館の先輩でした。多くの人がイラクの人たちのために活動し、若くしてなくなった奥外交官の死に涙しました。奥外交官は、日本は原則国連の意思決定に従うのが基本であるとしながらも、日本政府の自衛隊現地派兵に向けての準備でイラク全土をかけずりまわり、その調査団のスケジュール設定その他を一手に引き受けて活動している最中での悔やまれる死でした。

 

 

 いよいよ高校入試も本番を迎えますが、どの高校に入るにせよ君は「将来は料理人になりたい」と言っていますから高校生になっても将来の職業にイメージを持ちながら勉強して欲しいと思います。自分が好きな興味あるものを追求し、それに合う職業に就くことが一番いいことだと思います。「料理」に限らず好奇心を持つとアンテナが高くなりますから、ちょっとした契機からもイメージを思いのほか膨らませることになります。君がどのような職業に就くのかは自由ですがハッキリしていることは自分の好きなことが仕事になって生活していくことができたらいいのではないか、と父さんは思います。

 父さんは自分の将来像にイメージを持たずに電電公社に入社しサラリーマンになりました。中学生あるいは高校生時代に将来像をイメージし、それに向かっていたら今とは違った人生を歩んでいたろうなと思います。

 

 昨年末に『ラストサムライ』という映画を一騎と一緒に観ました。ショックを受けました。日本人の手ではなくアメリカ人によって「日本人の魂といわれていた義に生きる武士道」が描かれていたのにショックを受けたのです。そしてハリウッドであのような映画が作られたことにビックリしたのです。

日本人は高度経済成長期の果てのバブルに呆けて自己としての倫理は地に落ちました。モラルハザードが叫ばれてから久しくなりますが今、日本人は現在の精神的堕落の重大さに気がつきはじめています。日本人が本来持っていた「奥ゆかしさ」「恥を知る」「責任感」「思いやり」などを、自分自身を律するという側面から自己の精神性を立て直さねばなりません。しかし、狂牛病騒ぎにかこつけて安い輸入牛肉を詰め替えて和牛肉だと誤魔化し差額分をかすめようとしたり、数々の原子力発電所事故を隠したり、売れ残った牛乳を再処理して製品を作ったり、売買春を援助交際という呼び変えによって女子高校生を金で弄んだりする大人たちにそれを期待しても無理だと思います。

君たち若い人たちの一人ひとりが成長する過程、独り立ちしていく過程で身をもって示していく必要があると思うのです。それを君は少林寺流練心館の日々の練習の中から学んでいるのだと父さんは思います。これからも努力してください。期待しています。

 

 ではこれで父さんからの15通目の手紙を終わりにします。

                            2004年2月7日

 

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