賑やかだった米寿祝いと還暦祝い
還暦と米寿の三人
2015年7月11日、岩井吟子、岩井さいの88歳の米寿の祝い、都丸実の60歳の還暦の祝いの会が妙義町のグリーンホテルで行われた。グリーンホテルはバブルの頃にグリーンカントリークラブというゴルフ場と同時にオープンしたもので広々とした妙義山麓の丘の上にあり、12階の会場からは妙義町はもちろんのこと松井田町から安中市までが一望のもとに展望できる風光明美な所に立地している。
お祝いの会にスケジュールを調整して集まってきたのは26人の家族。お祝いの会は、都丸一騎の司会で始まり、私の乾杯の挨拶のあと懇親会に入った。なにせ、マイペースな4歳以下の乳幼児が5人もいるので、あちらこちらで部屋の中を走り回る賑やかな歓声が聞こえる中での懇親会である。
2時間の宴会の半分を過ぎたあたりから祝福された3人にたいし、それぞれの家族からお祝いのプレゼントとお祝いを兼ねた感謝の言葉が贈られた。お祝いのプレゼントやお祝いの言葉をもらった側からも返礼の言葉が言われる。4歳の桃佳は、たどたどしいお祝いの文字を書いてきたが初めての体験のため胸が詰まってお祝いの言葉を読み上げることができなかった。随分練習して来たのだろうが、ま・しかたがないことだろう。次はきっとうまくできるでしょう。計子と明美は両親を含めての感謝の言葉を述べていた。
私は、お袋の米寿の祝いにたいしてみんなの協力のもとに、32ページの写真文集『めざせ100歳』を作成したので、10部印刷し1家族に1冊ずつ配った。さらに3人に対してお祝いの絵を描いておくった。描いたのは牡丹の花で還暦の実には赤い花を、お袋と叔母には白と黄色の花を送った。水墨画を習い始めて2年目になるが、今回は花に色を付けた墨彩画として描いたものだ。贈られた絵を自宅に持ち帰ったらすぐに掲げられるようにパネルに入れて贈った。3人ともとても喜んでくれた。
三人のお祝いに集まった家族26人
いよいよ2時間が経過するころお祝いの歌「エイトマン」を歌った。現在は息子の大が後楽園ホールのボクシングの試合時の入場曲として使っているもので元気の出る歌だ。私が高校3年時に大阪の花園ラグビー場で開催された全国高等学校ラグビー選手権大会に、北関東地区代表として出場した際にジャージーの背番号が「8」番だったので、当時流行していたアニメのエイトマンの曲がそれ以降の宴会で歌う私の持ち歌として歌ってきたものである。もちろん私自身の結婚式の時にも歌った曲である。そのエイトマンを歌い、最後に集まった26人の家族集合写真を撮って3人のお祝いの会は散会となった。実に穏やかで賑やかなお祝いの会だった。