ザリガニを丸飲みするアオサギ
ザリガニを見事に捉えたアオサギ
10月6日 晴れ
日本野鳥の会の創設者である中西悟堂の著作を初めて手にしたのは中学生の頃だった。「野鳥」「探鳥」などの言葉は梧堂の造語である。東京深大寺のお坊さんであったころの僧籍名が「梧堂」だったため、僧籍を外れて創作活動や野外活動に入った後もそのままペンネームとして梧堂を使っていた。中学生の時に読んだ本の中身で特に印象に残っているのは、梧堂が座禅を組んで無の境地に入ると鳥たちが頭や肩に止まって遊んでいた、ということだった。人間としての気を消すことによって自然の一部に同化し鳥たちに草木と同じに感じさせてしまう、ということのようだった。人間にそんなことが出来るのだろうかという疑問が湧いたのを昨日のように思い出す。悟堂は「野の鳥は野に」と自然の中で鳥を楽しむことを提唱した。それまでの日本人の野鳥との関わりは飼い鳥として籠の中の鳥の鳴き声や姿を楽しむか、狩猟や食肉の対象としているものであった。そのような習慣をやめて「探鳥」を提唱したのだった。今で言うバードウォッチングである。
真白きスイレンの花
私は「日本野鳥の会」の本部登録会員である。年間会費は5000円であり月刊誌『野鳥』が郵送されてくるが、野鳥の会の運営は厳しいようで合併号が目立つようになった。日本人の生活が農業漁業林業に代表される第1次産業から切り離された結果、花鳥風月に代表される自然界との関わりが希薄となってしまったのである。花見川沿いを歩いただけでも分かることだが田んぼや畑に雑草が生い茂り、里山は荒れ川の水は汚れ魚影は減少した。翔ぶ蝶や蜻蛉などの虫も少なく蛍は消え鳥の姿もめっきり減った。しかし日本人はこのような自然の変化に敏感に反応することなく何とも思わなくなってしまった。その反映の一例が野鳥の会の会員減少に伴う運営の厳しさに現れていると言っても過言ではないだろう。自然破壊に無関心な若年層が再生産され続けているのだろうと思われる。
キアゲハとマンジュシャゲ
私はカメラで鳥の姿を撮影しながらバードウォッチングを楽しんでいるが、夏季は日差しが暑く、かつ木々に葉が生い茂っているため鳥の鳴き声は聞こえるものの姿を確認するのに手間どう。バードウォッチングに適している季節は葉が枯れ落ちる晩秋から葉が芽吹く早春まである。この期間は冬鳥と留鳥が対象となるが鳥の姿を確認しやすい。私が作成している『クーちゃんのホームページ』というインターネット家族誌の表紙は幕張地区で撮影した鳥の姿を使っている。使用している望遠レンズが250mmと短いため、遠くに鳥の姿を確認しても撮すことができないもどかしさを度々感じながらもバードウォッチングを楽しんでいる。