浅草寺の羽子板市に行ってみた
昔ながらの羽子板が並ぶ
浅草の神谷バーで一杯引っかけようと思って出かけたが平日にも関わらず大賑わいで座る席がなく、やむなく雷門の仲見世通りから一本手前にある大衆酒蔵「ニュー浅草」に入った。ここも賑わってはいたが神谷バーほどではなく1階の席に座れた。ツマミ3種類と冷酒を頼み、グビグビ飲んだあと浅草寺境内に向かった。目当ては12月17日〜19日の3日間開かれる羽子板市である。毎年50軒ほどの露天が境内に並ぶという。私は浅草寺の羽子板市というものを初めて見たが結構賑わっている。絹の布にワタを詰め込み歌舞伎役者姿や芸妓姿を型取った「江戸押絵羽子板」が露天に並べられている。現在では東京都の伝統工芸品に指定されているという。
娘の愛が生まれた26年前に親戚からガラスケースに入れられた羽子板を頂いた。今も群馬の生家に置かれているが、浅草寺の羽子板市の沿革を確認すると、毎月18日は観音様の「ご縁日」。特に12月18日は1年の締めくくりとしての「納めの観音」。江戸時代には毎年12月17・18日に正月用品や縁起物を売る店が境内に集まって「歳の市」が開かれ、江戸随一の市として賑わっていたという。その「歳の市」が「羽子板市」として引き継がれたのだという。江戸時代後期から女の子が生まれた家に羽子板を贈る風習ができたのだが、それは羽子板でつく羽根が害虫を食べるトンボに似ているため、悪い虫がつかないとか、硬い豆の部分が魔滅(まめ)に当てられ魔除けになるとか、マメに暮らせるなどと縁起物として広まったのだという。このような羽子板を正月の縁起物として「歳の市」で扱う店が増え、それが現在まで続き、「納めの観音」の18日の前後を含め12月17日から19日の3日間が浅草寺の年中行事として定着しているというのである。
並べられている羽子板を見て不思議に思うことがあった。どの羽子板にも値段が付いていないのである。客はどのようにして羽子板の値段を判断するのだろうか???不思議だった。そこで、羽子板の値段はどのように決まるのか?と売り子さんに聞いてみた。売り子さんの答えは、買い手と売り手の値段交渉で決まっていくとのことだ。最初に値段を付けるのは買い手だ。その値段に対して売り手が了承すれば商売が成り立ち威勢のいい三三七拍子の3本締めの手打ちとなる。この買い手と売り手の関係は対等のようでいて決して対等ではなく、売り手に都合のいい不思議な世界だ。なぜならば、売り手が2万円で売ろうと思っていたものを買い手が3万円と値段をつけたら、売り手はそのまま3万円で売ってしまうのだ。買い手が2万円以下の値段をつけた時のみ交渉に入り、交渉結果を2万円か、それ以上に持っていくという世界なのだ。そのような値段のつけ方だが、しばらく露天を眺めているとあちらの屋台で、こちらの屋台で交渉成立の3本締めが湧き上がるのである。なんとも不思議な世界なのだ。
三門の横では干支の羽子板を売っていた。この羽子板は来年の干支である「巳」の字のみが書かれており、値段は500円だった。この露天にはきちんと値段が表示されていた。帰宅後、ネットで羽子板の値段を確認すると大きさによって異なるが、数千円から数万円とのことだった。